自分の事を上手に表現して、

ブランディングしなきゃ‥」


業績評価面談での上司との会話。


やってきたことよりも、伝え方で評価を決めるんですか?


だって、上の人には伝わらないじゃん


たぶん、この上司の言ってることは正しい。

少なくとも現実的には正しい。


しかし、物凄い違和感を感じる



あらためてその意味をググると、


ブランディング(英語:branding)とは刻み込まれる価値を最大化することと定義されている。


一方、英語辞書を引くと、

「brand」という言葉の意味は


動詞の場合、
〔~に〕焼き印を押す、汚名を着せる

名詞の場合、

燃えさし,燃え木,(商品・家畜などに押す)焼き印,商標,ブランド,品質,銘柄,(特別な)種類,(昔罪人に押した)焼き印,烙印(らくいん)


とある。

そして、brandの語源は、

家畜に捺した焼き印からきており、 ヨーロッパで放牧している牛などの家畜を他の家畜と区別するために、人々は、自らの家畜の背中に印をつけた、

となっている。


俺、家畜じゃないし‥


そもそも、ブランディングとか流行り言葉、嫌いだし‥。


昭和のオトコだから、仕事の流儀とか、生き様とかという言葉の方がしっくり来るし‥。



モヤっとしたまま面談は終了。 

また、今回もあまり良い結果は

期待出来なさそうだ(泣)。


毎年、この時期になると思う。


人が人を評価するって

    何なんだろう?と。


同じ1つの物差しで定量的に測れれば、これほど明快なことはなく、評価する側と評価される側の認識のGapは生まれない。


もし、あるとすれば、結果の出し方だ。

人のものを横取りしたとか、やり方が汚いとか、だろう。


「評価は結果だけで決める」ということであれば、何でもありの地獄絵図だ。

コンプライアンスがどうとか言われるが、基本的には個人のモラルに委ねられることになる。


逆に「結果の出し方も評価の対象にする」ということであれば、また、同じような評価の問題に帰着することになる。


ただ、現実的には、1つの物差しで定量的な側面だけを評価することは出来ない。


なぜならば、定量的な結果は非定量的な行為によって支えられているからだ


企業の活動は基本的に財務諸表によって評価される。そして、その数字を生み出しているのは、製品の開発部門や製品部門、そして、直接的には営業部門ということになるだろう。

(もちろん、それらの組織の中でさえも直接的に受注や売上に関わる人とそうでない人もいるだろう)


しかし、開発部門や製品部門、営業部門だけで企業が成立しないというのは、サラリーマンであれば誰でもわかると思う。


つまり、企業は定量的な結果によって評価されるけれども、定量的結果は従業員の非定量的な力に支えられているということだ。


しかしながら、その非定量的な努力の評価は「ブランディング」と云う行為によって勝ち取れというのが今回の上司のアドバイスらしい。


これは何を意味しているかと言うと、企業を支えている非定量的な従業員の努力の評価は企業では出来ないので、従業員側で上手いこと差別化してくれ、ということになるのだと思う。

まさしく本末転倒

何だかおかしい話だが、こういったことは何も今に始まったことではないとも思う。


何が変わったのだろう?

1つには、やはり評価する側の上司の問題はあるように思う。昔の上司はなんやかんや言っても一目置かれている人が多かった気がする。

きちんと部下の事を見ていた上司が多かったように思う。


人が求める評価は、企業が定めた制度に基づく給与、賞与、そして待遇というのは当然だが、そういった定量的なものだけではないような気がする。少なくとも、昔はそうだった気がする。


働きやすさとか、居心地の良さとか、気持ちをわかってくれる人がいるとか、自分の居場所があるとか、そういったお金では測れないものものも含まれていて、「給料は安いけど、まぁまぁ‥」と折り合いを付けていた気がする。


そして、そういった見えない評価、報酬をコントロールしていたのが、現場の上司だった気がする。


つまり、非定量的な行為に対して、現場の上司が自らの裁量において非定量的な報酬を与えていたわけだ。


このような行為によって企業の現場は支えられており、この点が以前と現在とで大きく変わった点のひとつであるように感じる。


ただ、現在のマネジメントは昔に比べて格段にやることが増え、一方でパワハラだ、セクハラた、コンプライアンス違反だ、と様々な制約が増えてきたため、部下に対して自らの非定量的裁量を発揮出来ないという面はあると思う。


結局、企業の定量的な結果を生み出しているのは従業員の非定量的な努力であることは事実だし、その非定量的な従業員の努力を一貫した定量的な物差しで測ることは難しいということが事実なのだろう。


そして、「ブランディング」とかと言って、上手いことを言う輩が評価される風潮があり、結果として、部下から一目置かれない上司が増えている。


昔のようになんやかんや言っても一目置かれている(仕事は出来ないけど、全幅の信頼をおける、とか、逆にワケわかんないヤツだけど、仕事だけは出来るとか)上司が少なくなってきた。

つまり、上司に対してリスペクトがないのだ。


人が人を評価するのは難しい。

特に非定量的な成果に対しては難しい。

非定量的な成果に対しても、定量的な評価は与えられなければならないが、もし、それが出来ないのであれぼ、上司の裁量で非定量的な評価を与えられるように、そして、そのようなマネジメントを育てるべきだと思う




それでも、部下たちには愚痴が溜まるのだ。

そんな時は皆で上司の悪口を言いながら

楽しいお酒を飲むのだ。

上司にはそのような部下の結束を促す

役割もあると思う。


いつもいつも物分りが良くて優しい上司である必要はなく、まるで昔のオヤジのように、ここぞという時に頼りになれば良いのだ


そんなことを感じた。