めっきりブログを書かなくなったぴら母ですが、
やっぱり常に考え事をしています。
それをブログに書かなくなった訳は、
ちょっと読みづらいかな、と思っているから。
でも、たまには書いておくのもいいかな。
神の存在を意識するものとしての考えです。
でも、物理学も生理学もとても重要です。
知らなかったけど、物理学って神学と隣り合わせなのね。
わくわくして困るくらい。
「意識」
神を意識するものは誰か。
その全てを剥がされ、研がれた魂。
低く貧しく、その命さえ憎む小きもの。
神はそれを愛される。
神が意識するものは誰か。
天を仰ぐ眼ざしか。
父の愛を求めるその手か。
それは神の栄光を讃美する。
その愛に意識を向けるものは、
その瞬間に神との繋がりを回復し、
神からの意識を受けるものとなる。
その魂は息を吹かれ、
地上にて神の意志として生かされる。
私は我である。
我は意識するものである。
我は我の意識するものにより成る。
意識は我を作り、また生きる。
我らは意識により成り、意識により生きている。
意識しないもので、我となるものはない。
父よ、我らをその偉大なる意識に近づけ給え。