「横川まちの芸術祭」で出逢ったヴィヴィアン佐藤さんの事。全然知らないけど面白そうと参加してみたら、案の定、とゆうか予想以上に素晴らしい人で魅力された。

(アーティスト、非建築家、ドラァグクイーン、映画評論家、イラストレーター、客員教授、文筆家…などなどマルチな肩書き)


「過去が救済する事がある」「未来に突き動かされているのかもしれない」「反対、賛成だけでは割り切れないものが人間。反対派に属しているけどこの部分は賛成である、とか、そんな割り切れないものがあるのが人間。」「勝者の歴史。その背後には、負けた人、声をあげられなかった人、声をつぶされた人、あらゆる人がいた事を知る」「ネットには載っていない事がある、その事を知る為に、ツールとしてネットを使う」「居酒屋とあの場とエネルギー…」「人間はいびつな多面体」


放たれる言葉の数々がメッセージ性が強く、不意にハンマーで頭をガツンと叩かれたように凝り固まった概念をこわされる。


ポッドキャストの公開収録に参加した2時間、対話から生まれる言葉に魅力されて、時間を忘れるくらい没頭した。また何度も聴きたい。UPされるのが楽しみ。




その公開収録の前に、ヴィヴィアン佐藤さんが描いてくれるというオーラ似顔絵に惹かれて、行ってみた。


全然他愛もない雑談しながら、ササっと書き進めるヴィヴィさん。「オーラ分かるんですか?」って聞いてみたら、「うん、昔からね。でもみんなもわかるのよ〜」って笑。


「わたしは、ニオイかな。歩いてて、焼き鳥屋さん近くなったら分かるでしょ。そんな感じ。エレベーター乗りこんで、残り香で、オヤジが乗ってたなとか分かるでしょ、そんな感じ」と。



ヴィヴィさんが香ったこの日の私、完成。


「なんでこの色なんですか?」と、野暮かもしれないが素直に聞いてみたら「わたし、占い師じゃないからよくわかんないんだけどね、」と道具を置き、わたしの方に前屈みになり、絵の中の色を指さしながら説明してくれた。



上の方の色は、映画や本やアート、そういうものに触れた時に自分事として捉える感じの人が多いかな。感情移入するのとは違って、自分事として教訓として哲学的に吸収する人。



紫は…ピンクもあるわね、これは母性が強い人。ゆるす人、認める人ね。

例えば。自分の息子が絶対面倒みるからカブトムシを飼ってほしいと懇願してきて、でも結局飽きちゃって面倒みなくなるじゃない。で、自分の人生でカブトムシを飼うって無いと思ってたのに、その内、代わりに面倒みていたら情が湧いてきて私が飼うことになる、みたいな。



真ん中の色は、水ね。入る器が変わっても、氷や蒸気になったりカタチが変わっても、本質は水であるということに変わららない、そんな人ね。



「わたし、占い師じゃないけど」ってヴィヴィさん言ってましたが。その後の対談でのお話を聞いていた私は「ヴィヴィさん、きっと色々わかる人なんだろうな」と感じました笑。



ヴィヴィさんの言葉を聞いていると穏やかな優しい気分になるから不思議。言葉で優しい事を言っているからではない。ヴィヴィさんがどんな在り方でどんなエネルギーを発しているかが、言葉の音に乗ってこっちに伝わってくる。



ご自身がカテゴライズされない何者にも属さない生き方をされているからか、相手にそれを求めていない空気感自由さを、私が無意識に感じたのかも。



世の中に様々な価値観がある事を知っていて、世の中にありとあらゆるマイノリティがある事を知っている人は、本当の意味で「優しい人」だと思う。



何でもかんでもカテゴライズしようとする世の中にいるから、カテゴライズできない、カテゴライズさせようとする世の中に抗っているヴィヴィさんに会うと、「本当の自由」をこの人から感じる事ができる。