息子くん、今朝も起きられず。
ま、想定内のお休みです
昨日の夜は、
ずうっとトイレにこもっていたので、
私はお先に寝ました
私、すっかり気持ちも落ち着いてきたので、
連休終わるプレッシャーで
息子がお腹にきていたというのを、
気づいたのは今朝。
あ、新学期前の例のやつと一緒だったか、と
息子自身も
「明日から学校だから」と
食事の内容には気を遣っていたけどね。
頑張ろうとする気持ちはある。
それに向けて自分の身体のことを考え、気をつけられている。
それだけでオッケー
そう出来たのだから、大丈夫
学校行けなくても、
ちゃんと社会と繋がれるよう、
息子は成長していけてる。
充分、充分
そんなことを改めて思えたのは、
今朝、中3の女の子の自殺のニュースを見たのもある。
部活の顧問の先生の事が伝えられていたけど、
自殺の真相はわからない。
でも、自ら命を絶つ事を選んだ、
その子の心を思うと、いたたまれないな
ここ最近、
ふと大学で学んでいた米文学を思い出したんだ。
私が愛してやまなかった
J.D.Salinger の
The Catcher in the Rye
この物語の中でね、
成績が悪くて学校を退学になった
主人公のHoldenは、
多感な時期の、過敏すぎる感受性ゆえに
世の中の俗物性に嫌気がさして、それを嘆いているの。
そんな世界のなかで、
彼にとって、死というものが
一種、高貴なものとして捉えられているんだよね。
物語の中でも、
同級生の子が自殺をしてしまう。
それを、気高い選択のようにも捉えているんだ。
そう、思春期で苦しむ子供にとって、
自殺って、なんていうか潔白なものというか・・・
キレイに終わりにできるというかね。
上手く表現できないけど、
そういう感覚があると思うんだよね。
もちろん、その選択をするくらいの辛さも、当然あると思う。
限られた世界の中で、感じる辛さ。
物語の中でも、
Holdenの恩師が
卑しくも生きろと説いているのだけれど・・・・
大好きな作品だから、
語りだすと、話が尽きないので割愛
だけどね・・・
そう、生きるのよ。
死なないで。
死にたいくらい辛くなったら、
死にたいくらい嫌になったら、
辛いこと嫌なこと全てから、逃げていいんだから。
息子が学校を休み始めて間もなく、
先生から電話がきたことを
泣きながら私に連絡してきた時。
仕事の最中だったけれど、
とても、この状態で息子を一人にしておけないと、
状況を察してくれた部長の計らいもあり、
慌てて家へ帰った。
帰りながら、
何言ってくれてるのという先生への憤りと、
もしも、もしもこれで、
息子が自殺してしまったらどうしよう
という、不安というか恐怖の気持ちで
冷静になれずに、実家の父へ電話したっけ。
つまり、何が言いたいかはね、
学校行けなくても
生きててくれればいい
なが~い人生のなかで、
学校だけが全てじゃない。
学校行けてない期間なんて、
どうってことない。
大切なのは、学校に行くことじゃない。
生きていくこと。
できる限り、幸せを感じて。
どこかで世界と繋がりながら、
生きていくこと。
まずは息子、生きてくれている。
健やかに生き続ける為に、
自分の身体の事を知り、
上手く付き合っていこうとしている。
そして、世界と繋がる方法を
彼なりに模索している。
あら?これって・・・
充分じゃない?
そう、だから、大丈夫
今日も生きていてくれて、ありがとう