こんにちわ!

ゆるりのmihoです。
 
 
 
今日は、不登校ままさんと、そのお友達な方とお茶をしました。
 
 
 
 
その方も、妹さんのことで
これまで、いろいろとあったようでした。
 
 
話のなかで出てきたこと。
 
 
お母さんが変わると
子供も変化していく
よね✨
 
 
というはなし。
 
 
 
お母さんが変わるとは
お母さんの意識や
思い込み(こうあるべき、普通)を手放してみたり
我慢してることをやめてみるとか
したいことをやってみるとか
好きなことをする
好きなものをたべる
寝たいときに寝るとか
 
 
これまで、こうあるべき!でやってきたことを
 
 
ちょっと疑ってみる!💫
 
 
それは、自分の感覚に従っていくということ。
 
 
 
これまでやり続けていたパターンを崩すことは
怖いです。
 
 
 
崩れてしまったらなくなってしまうという恐怖感
 
 
それも、思い込みなのですが。
 
 
 
思い込みにも気づくと
狭い中にいた枠が広がり窮屈さを感じなくなってきます。
 
 
 
 
普通とは?
の話もでました。
 
 
 
普通ってなんだろねと。
 
 
他の方のブログでも、発達凸凹不登校番組の中でも、本でも
 
 
 
普通ということを聞いたり見たり、目にしたことがある。
 
 
 
子供が自分の思うようにいかないという経験を
 
たくさんしてきた方は
 
 
この普通ってなんだ!?といくところに
辿り着くようです。
 
 
 
 
 
今日お茶したままさんも
 
 
普通ってなに?を通ってきたとのこと。
 
子供を普通にしたかった私もいたり
勉強できなくてもいいから学校には戻ってほしい。
 
そんな想いもたくさんたくさんあったようです。
 
 
 
でも、そうやって繰り返しても
子供が変わるわけではない。
 
 
むしろ、その逆で
子供も不安定になるし
親もイライラモヤモヤするの繰り返し。
 
 
 
そうやって何度も繰り返してきて
 
 
普通ってなんだ!?にたどり着く。
 
 
 
普通
縛られてることって意外にある。
 
 
 
常識
世間のものさし
 
それらも同じだとおもう。
 
 
 
でもね
 
 
ひとり一人を見ていったとき
 
蓋をあけてみると
 
 
当たり前だけどみな違うし
 
それぞれの考え方や身に付いたものや
感じ方はいろいろ。
 
 
それでいいのだけどね。
 
 
その人自身がそれでいいのならば。
 
 
 
他の人が手出し口出しできない領域ってあるなとおもう。
 
 
それは、その人のことを考えていないのではなく
 
 
むしろ、その人自身を尊重してるからこそ
であるから。
 
 
 
みな、今それをしたいからしているだけ。
 
 
それが、他者からみたら
つらそうだなと思ったとしても。
 
 
 
こっちのほうが近道なのにな!と思ったとしても。
 
 
みな
私もそうしたいからしてるだけ。
に気づくと
 
 
見えてくるものがある。
 
 
それは
 
 
 
じゃあいったい私は
どうしたいの?🌠ということ。
 
 
 
苦しさ、辛さを持ち続けてもいいし
 
もう手放してもいいなと
思えば手放してもいいし
 
 
自分で決められるということ。
 
 
気づくとどうしたい?が見えてきます(^-^)