おはようございます。

昨日は、1日なにかも動きっぱなしな
日でしたが


こんなに身動きとれたのも


まずは

旦那のお義母さんが次男を見ていてくれたからカナヘイうさぎ


昨日は、懇談で
学校も午前中にはおわりだったので

ばあばの所に帰るように話をしていたんですね。



今では、だいぶというか

見てもらうのお願いしたり
できるようになったんだけど


お兄ちゃんのころなんて、ほとんどなかったし


自分で見なきゃとかショックなうさぎ
親でしょショックなうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎ


みたいな、変なものが
私の中にあったんですが


あったから
言えなかった。


言わなくても
自分苦痛なくやれるのなら
それはそれであいとおもうんですね✨


自分が楽しんでいて
もっと落に子供と接することができていてなら。



でもね

わたしは、そうではなかった。


長男のころなんて

3歳神話ではないけれど


3歳までは
親がかかわることが大事みたいなあんぐりうさぎ


どこか、そのころから
その神話に違和感は感じていたものの


どこかで
そうなのだろうか?なんておもってみたり


なにがなんだかわからないまま

本当に専業主婦に専念していたんですが


だんだん

苦しくなってきて。


長男の不登校もね


表面的にみれば
学校いけないわけだし
それではいけない

なんとか外にでてもらうには
親がなんとかしなければならない

頑張らないと、親がね。みたいな
ものって
あるとおもうんですね。



でもね

私が息子とともに向き合い関わるなかでかんじてきたことは


お母さん❗
自分の人生なんだよ。


自分のために
自分の生きたいように
楽しんで生きていってよね。
でした。ショックなうさぎ


ギクッショックなうさぎ






本質はというか
子供は、それを親に望んでいるのかもしれないなっておもったのでした。


はじめのころは
そんなふうに感じていました。たとしても

イヤイヤ、そんなことはない。
だって、子供がこんな状態

学校いかない、いけないのに
これがいい!なんて
到底おもえなかったし

私がなんとかしないと
がんばらないと
子供は自立できないって

本気でおもっていました。


でもね

私が頑張れば頑張るほど

私が焦り


さらにこのまんまではだめのんじゃないの?って陥ってしまって大泣きうさぎ


わたしの場合は、悪循環だったんですね。


そして、不登校を通してわかったことは

親がいくら努力し頑張ったとしても

それが、子供の行動というか
前進に繋がるとは限らないとおもったのです。



子供は、子供のタイミング、時期、ペース
があると私はおもっています。


信じて見守るというのは
むずかしいことでもあるとおもいます。


けれど
信じて見守ることで
息子の場合ですが

家にいるなかでも
自分のできることをやってみたりする努力をしてみたり

私が口出しするときより
なんだか、生き生きとしているというか


自分で考え
自分でできるなかで行動してみる‼ということを

していくように少しずつなっていったようにおもいます。



ですが
これは、あくまでも私たちの場合であって


発達凸凹も
不登校も


表面的には一緒のようにみえたとしても

中をのぞいてみれば
家庭家庭で違うし
微妙な違いもあったり


もっといえば
子供も親も
個性やホンシツテキなものごあるので
一人ひとりちがっていて


だからこそ、むずかしいという点もあるのだろうけれど


だからこそ

子供も
親も


自分の本質的なものや
要素や特質を
理解できるようになると


きっと

もっともっと
楽に
楽しく

自分らしく

私たちの家族は、こういう形🎵って

もっと自信もっていけるとおもうんですね。


といってる私ですが

わたしも、日々、努力してるところでもありますてへぺろうさぎ



長男くんは

私に、たくさんのことを教えてくれます。


どっちが親なのショックなうさぎてへぺろうさぎみたいな時もあってねサッ


わたし、まだまだだな~とおもいながらも


親だからに
縛られず


子供に任せてみたり
委ねてみることで


こんなに
できるの?

出来てたんだあとか


なにも失ってはいないのかもなあ


なんて、気づきもでてきてりしました。


そうしたら

長男のことも気にならなくなり

どんな状況、状態であっても
生きていてくれるだけでいいのかなあとか

元気でいてくれるだけいいなって

少しだけどおもえるようにもなってきた。


そうしたら
私自身がふっと肩の荷が降りた✨


子供は、子供のペースで
生きていってるだけ。


そういうところって

実は、親よりも
子供のほうが

本質的に生きていて

ただそれをそのまんまを
生きていってるだけなのかもしれないなあって。



そんなことを
日々のなかで少しずう実感するようになってきて


そうしたら

子供は子供なりのペースで生きてるし
そのようにしかならないとしたら


親も(わたしも)
自分が好きなことをして
自分を生きていくことに
専念しなきゃ✨
とおもってきたのでした。



好きなことして
楽して
自分らしく生きてって


どこか無理だよといいたくなるときもあるけれど


無理だよといってるときの私は

なんに対しても

妥協していて

自分あとまわしになりがち



そうすると

私が枯渇してくるという現実もショックなうさぎ



そうなると
その苦しそうな姿を子供はみていて
感じでているわけでショックなうさぎ


これがいけないわけではないとおもうんですね。



でも


大事なのは


自分はそれでいいの?

なのかなあとおもっていて。



それでいい
今でいい✨なら


それでいいのだとおもう。



けれど
違うのであれば



親が一歩踏み出す勇気が必要なのかもしれない。



わたしも、実際に
息子がいつ、どのようにどうなっていくのかは

予想がつきません。
わかりません。



でも


わからなくてもいいし
予想がつかなくてもいいし


きっと
なるようになるし


行きつくところにちゃんと向かっているとおもうからカナヘイきらきらカナヘイきらきらカナヘイきらきらカナヘイきらきら



自分の子供は大丈夫って

信じていきたいですよね⁉



話ははじめにもどりますが


お義母さんに
子供をみてもらうことで


その間の時間は
自分一人だけの
時間というか


一人で身動きがとれるわけで


やっぱり


そういう時間を自分に与えてあげることは

大事だなとおもったのでした。




これからも
もっと頼っていこうてへぺろうさぎ




そうしてね

嬉しいことに
私と離れてるあいだ


次男くんは
ばあばの家で




これを作っていたらしいです。



四つ葉のクローバー🍀とのこと


素直に嬉しい✨


母の日と、誕生日祝いらしいです



あのぉ~
もう、とっくに過ぎたんですけどぉショックなうさぎ(笑)