おはようございます。

今日は、次男の登校前の出来事から
いろんなことを感じ、自分を見つめる時間にもなったので

そのことを書こうかなとおもいます。


自分の子供で
兄弟のどちらかが
発達特性や
不登校
他にもあるかとはおもいますが



発達特性だったら
もしかして、もうひとりの我が子も?とか

不登校だったら
今まで普通に登校していた
もうひとりの我が子が
頭がいたい、お腹がいたいと言ったり
なにか様子がおかしいぞというものを感じたとき


ふと

また同じようなことが起こるのではないかあんぐりうさぎとよぎったり


ちょっと、ドキっとする瞬間って
ありませんか?


わたしは、あって

今次男は2年生なんですが

一年生のころ、一度、急に頭いたい
起きれないとだらだらと布団の中にもぐっていたことがあって

正直、そのときは、かなり焦る私がいました。


内心、焦りながら

お兄ちゃんのときの、状況がぶあっと
よみがえってきたり

お兄ちゃんのとき、こういう場合
どうしてたっけ?とか

この言葉を言って
余計に行かない❗と言ったよねとかショックなうさぎ


それを探そうとしていた私もいて。


そのとき思ったんですよね。

あ~私、お兄ちゃんのことで、本当にいろんなことがあったけど、息子からもたくさんのことを教えてもらったし

お兄ちゃんのことをわかってやれている。
受けいれられている。とおもっていたけど
次男のときは次男のときでそうではないんだなー」っておもったんです。



私自身でもびっくりしたんですが

やっぱり
もうひとり同じようなことが起こると

焦るし

どうしようとお兄ちゃんのときと重なるし
重ねて見てしまうし

なんとか手だてはないかとか

先のことが心配になるし

お兄ちゃんとおなじようなことを真似してるんじゃないかと
疑ってみてしまうわたしもいたりと





思っていたより
出てくる出てくるショックなうさぎ

 

でてくるんですよね~。




びっくり👀


けれど



いくら兄弟の一人が
発達特性や不登校であって、状況や状態や
わかってる
理解できてるようでも


また一人、同じようなことが目の前で起こると

一人目のときと同じで

うろたえるし
どうしようと思うし
なんとか一人だけにとどめておかないと
みたいな


変な焦りがやっぱり出てくるんですよね。


一人目がそうだったから
二人目は、すんなり認められるし
うまく対応もできるし

、、、、


なーんて

そんなのできない。

そんなに
できた私じゃないしとおもってみたり





一人も二人も

やっぱり、それなりに

同じような感情が出てくるんだな~というのも改めて感じて。


でも

それでいいと思うんですよねカナヘイうさぎ

その感情がでるのは
当然のことだと思うしカナヘイきらきら


あっ
まだわたし、こんなふうに感じてるんだなって、感じてやればいいし


感じて、そりゃそうだよね。
わかるよわかる。」って

どんどん感じていってあげればいいし

そうやって感じてるうちに

いつしか

安堵感にかわっていたり
そうだよね。って開き直りというのでもなく
心からの納得感といったほうが一番合うのかな😃

そんなふうに心落ち着くところに
ちゃ~んと
たどり着くことを
自分が少しずつ
わかってこれたことも
長男から教えられたことかもしれない。





今日は

2年生になると
木曜日は六時間授業となり

長くまで学校にいなければならないので


最近、この木曜日がやってくると

様子があやしくなってくる次男くんなんです。


今日も
いつもより布団からでてくる様子がない。


咳もしていて
頭をさわるとすこーしいつもより熱いかな
というかんじで。

また、季節のかわりめで
喘息も今日は、ちょっと、いつもより
出てるかんじではあったんですが。

次男は
学校でもし頭いたくなったらどうしようと
気にしていました。

痛くなったり
調子わるいなとおもったら
先生にいえばいいよ。
先生も頭さわってみたり
声をかけてくれるから大丈夫だから」
と伝えたのですが

まだ少し心配そうな次男。

よくよく聴くと

以前もクラスの子供が頭いたいと
先生に伝えたようですが

すぐに対応とかではなく
授業が終わるまで様子をみていたようで。

先生からすればきっと
ある程度の対応はされたんだとおもうんですね。

でもすぐに、保健室にいかなければならないほどでもないなど

なにかしらの判断をされたんだとおもうんですね。

それで、この授業が終わるまで様子をみていたのだと次男のはなしから
わたしはそうかんじたのですが


子供って

親や、先生目線とはちがって見てることもあるし
おもったり感じてることもあって

大人目線でいくと
これくらいで。とか
頑張る度合いというか

それらは子供よりきっと
大きくて

そのくらい大丈夫だよ
たいしたことないよ
など。

つい
言っていたり、そういうふうに対応してることって
意外にたくさんあってショックなうさぎ



でも

次男をみていてもわかるのが


当たり前といえば当たり前なんですが

大人と子供で

見てるもの
かんじてること、もの
思いの度合いなどちがっていて


このくらい
たいしたことないと大人は
おもったとしても

子供は、大人が思ってる以上に

何かをとても敏感に
感じてるということは

たくさんあって


ちょっと脱線しましたが


次男も学校でお友だちのことを見たこともあって

不安と心配になったようでした。



わたしも、こんなこと書いてますが

以前のわたしなら
もしそのようなことを次男から聞いたとしても
きっと

それは、先生が大丈夫とおもったから
様子をみてたんだよ」とさらりと流すかんじで、大丈夫だよ。と



今思えば、しっかり子供の不安なおもい
声に耳を傾けて
やってなかったとおもいます。






そんなふうに
どこか

私のなかでそのくらいでというのがあったんだとおもうんですね。

また


確かに子供のことは気になるけれど
今の状態や様子を伝えてることに対して
躊躇する自分がそのころはまだいて

なんでなんだろう❓とみていくと

こんなことくらいで連絡帳に様子などをかいて
このお母さんはすごい気にする人なのかと
思われるのではないかという恐れ

こんなことくらいで連絡する人いるの?という
他人を基準に
この人だったらどうするのかな~とか。
・・・


そう❗




わたしはこれまでずっと
他人軸で物事をみて、感じてきて
他人軸で生きてきてたんですねショックなうさぎ


自分では気づかないのです。




そこには

わたし

がいないショックなうさぎショックなうさぎショックなうさぎショックなうさぎショックなうさぎショックなうさぎ




わたしがなかったんです。


これは長男のときのことになるんですが


いろんなことがあったとき
子供のことは心配だし
本当は、先生にどうこうしてもらいたいとかではなくて
今の状態や様子をただ伝えておきたい


本当はただそれだけだったとおもうし
そうしたかったのだとおもいます。


でもその頃のわたしは他人軸

わたしがいないので
当然そんな思いを先生に伝えようなんて
思えなかったし

書けなかったし

どうおもわれるかが恐かった。

自分にも到底自信なかったから。



でも
長男の発達特性や不登校と
いろんな体験、経験のなかで


少しずつ少しずつ

他人軸から自分軸へとシフトしてゆくようになりました。








本当の私。


本来のわたしを取り戻すことが
できたとおもう。




だからといって


ずっと長年そうやって無意識に
やってきたわけなので


やっぱり多少意識して
心がけないと


気づくと
あれれとなることはまだありますが。




でもそれでいいと思っているし
それでいいんです🎵



気づけたことが
気付いたことで


自分に戻れるということがわかったから。




本当にこれは長男からのギフトですカナヘイきらきら



長男のことがあったから

次男のことも
確かに焦りもするし
いろんな感情はでるし


なんだけど❗

すこーし
自分を信じるという土台も
少しずつできてきたとおもうし

これを先生に言ったら
どう思われるかなというものも


うそのように軽減している


そしてなにより

自分や
我が子の気持ちを

まずは第一優先して
聴いてやることができるようにもなっている。


他人軸で生きてきていた
わたしにとっては


ものすごい変化のひとつなのです。



今日も

次男には
体調が悪いなら先生に言ってもいいこと。
それは我慢しなくてもいいことなんだよ。ということをはなし

プラス

先生には連絡帳で今のことを書いておこうね。お母さんが書いてるから大丈夫だよ」って話したら、あんなに不安そうな顔をしていたのが

もやが晴れたように
安心した様子に変わってカナヘイきらきら


いつも友達と待ち合わせして学校にいってる次男ですが

今日は、間に合わないと焦っていて
走っていかないと間に合わないといってたけれど

喘息もでてたし
待ち合わせ場所まで連れていくことに。

そうしたら日頃一緒に行けないお友だちにも
偶然合って

その子たちも一緒に乗せてブーン🚙と走らせ、到着。


日頃あえないお友だちとも一緒にいけて
息子も友達たちも喜んでいたカナヘイうさぎ


そんな姿もみることができて
わたしもなんだか嬉しくて。


まあいいや。
ゆるゆる。
伝えるだけつたえよう。

そんな心持ちや
意識が


よりスムーズに事を運んでくれたように
おもいます。