今日の課題!!


今日の課題は。。







近代看護教育の母。。

ナイチンゲールについてです!!



看護学生で知らない人はいないはず。。

レポートにまとめろと言われるかも...



今回は簡単にナイチンゲールについてまとめて行きたいと思います!!





ナイチンゲールのプロフィール🌱🌱

名前

フローレンス ・ナイチンゲール



誕生

1820年 5月12日

フィレンツェ



死没

1910年 8月13日

ロンドン





何をしたの??

  • フローレンス・ナイチンゲールはイギリスの看護師であり、世界初の看護学校の設立や病院建設など医療制度の改革に大きく貢献しました。彼女の功績としては、1853年から1856年の間に行われた「クリミア戦争」での貢献が有名で、フローレンス・ナイチンゲールと看護婦団の働きにより死亡者数が大幅に減られたと言われています。



年表でくわしく!!


1820年5月12日


イギリス人の裕福な両親の下、旅行先のイタリア、フィレンツェで誕生。上流階級で育ち高度な教育を受けたが、慈善活動に携わることで看護の道を志すようになる。しかし当時の看護婦は社会的に地位のある女性が就く職業とみなされておらず、両親からは猛反対を受ける。


1851年


両親の反対を押し切り、ドイツカイザースヴェルト学園で看護の勉強を始める。


1853年


ロンドンの病院に就職。働きぶりが認められ1年も経たない内に婦長となる。


1854年


クリミア戦争下戦時大臣より依頼を受け、看護婦団を結成。様々な努力で病院の衛生状態を改善した結果、負傷兵の致死率は大幅に低下した。当時の献身的な働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれ、看護師が「白衣の天使」と呼ばれる由来になっている。また、夜回りを欠かさなかったことから「ランプの貴婦人」とも呼ばれた。

1856年


クリミア戦争が終結し、イギリスへ帰国。帰国後は報告書を基に病院の状況分析を行い、政府へ提出する。円グラフや棒グラフもない時代にレーダーチャートの先駆けとなるグラフを作成し、統計学の先駆者としても知られている。

1857年


過労により倒れる。この頃から慢性疲労症候群のような症状により、以後ほぼベッドの上での生活になる。現場の看護に代わり本の執筆や手紙による交渉、指示等が主な活動となる。

1860年


戦時中に作られたナイチンゲール基金が45000ポンド(現在の金額でおよそ9億円)に達し、聖トーマス病院内にナイチンゲール看護学校を創立する。その後同種の養成学校がイギリス内に作られ、現在に近い看護婦養成体制が整い始めた。
『Notes On Nursing(看護覚え書)』出版



1863年


『Notes on Hospitals(病院覚え書)』出版



1901年


完全に失明する。

1907年


女性で初めてメリット勲章※を授けられる

1910年8月13日


90歳でロンドンにてその生涯を閉じる。故人の遺志により墓石にはイニシャルと生没年月日のみが記されている




​簡単にまとめてみました!!
赤線は大切なとこです!!


ナイチンゲールは基礎なので、レポート提出求められやすいかも😢😢
少しでも参考にしてくれると嬉しいです!!


他にもまとめがほしいものがあれば、リクエストお待ちしております!!