不登校、いざ社会に出ると、意外と強い説を立証。
不登校の子っていうのは、
その子によって期間は違えども、
サナギになって、外に出る準備をしているんだと思う。
我が家の場合、
中学3年間、ノースクール&ノー勉(楽しそうな行事ごとのみ参加)で、三年寝太郎スタイルを貫いた。
母親として薬を飲むほど辛かったのは、地元で人気の私立中に入学してすぐの中1の4月からから同年11月頃まで。
何とかして元のレールに息子を戻そうとして必死だった。
私は一気に白髪とシワが増え、私の神経の全てを息子に注いだ。
そして、息子からは笑顔が消えた。
翌年、中2になって、地元の公立中に転校して、小学校時代の友人達と再会し、息子に少し笑顔が戻った。
しかし、学校へは行かなかった。
私は「なんで行かないんだろう、、、」と、思いつつも、「しょうがないか、、、」と諦めた。
不思議なコトに『諦める』と、なんか気が楽になり、ヘラヘラ笑えるようになった。
私がヘラヘラ笑い出すと、息子もヘラヘラ笑い出すようになった。
ヘラヘラ親子がファミレスのモーニングに通い始めるのも、この頃からだった。
さらに翌年、中3になって、相変わらずノースクール&ノー勉を貫くも、なぜか、「高校生になりたい」と、息子が言い始めたので、「なりたいならなれるよ」と、私も言った。
なんとも運良く、メッチャご近所にeスポーツ高校が出来たので、そこ一本に決めて、そこのeスポーツ高校に顔を出すようになった。
そして、運良く友達にも恵まれていた息子は、不登校だったにも関わらず、学校以外でクラスメート達と遊びに行く事が多くなり、小学校時代の笑顔を完全に取り戻した。
私は私で、ソ・イングク氏と出会い、完全復活を遂げた。
そして現在、高校1年生になった息子は、
この夏休みに、
パンイチ生活
ノーパン生活
バイト生活という、新たなステージに突入した。
3年前、虚ろな目で気力の無かった子が、
3年後、ノーパン、、、、じゃなくバイトをしようとするなんて、当時の私は思ってもみなかった。
前置きが長くなったが、
母親として、あの虚ろな目の息子がバイトを始めたコトが嬉しいのではなく、不登校時代に自分を助けてくれた人々への感謝の気持ちを忘れていないコトが嬉しいのだ。
昨日、引っ越し屋さんのバイトから帰ってくる途中で、こんなLINEが
このお金で、実家(私の実家、息子のジジババ宅)に何か買って持って行きたいとのこと。
「お母さん、このお金は、今までのお金とは意味合いが違うんだ」と息子。
「別に今日なにか買っていかなくてもいーんじゃないの」と、言ったら、
「今日買って持って行くコトに意味があるんだよ」と息子。
ふむふむ。
てなワケで、スーパーにて、ちょいと高級そうな桃を購入し、バイト帰りにジジババ宅に届けた息子。
そしてこんなコトを、
「もっとたくさんお給料が入ったら、シャインマスカットを買って持って行こうかな」と。
そして、
「初任給は、世話になった人達に全部使っちゃおうかな」とも。
そう、私が嬉しかったのは、息子がバイトを始めたコトではなく、不登校時代に自分を助けてくれた人々への感謝の気持ちを忘れていなかったコトなのだ。
不登校の子は、自分が置かれている立場をよく分かっている。
私たち大人が思っているよりも、よく分かっているのだ。
子供にだってプライドはある。
レールから外れた自分を情けなく、惨めで、普通の人とは違う存在である事を、自分が一番よく分かっているのだ。
それなのに、そのなけなしのプライドをさらにズタズタにしてしまったのは、私たち親だったりするワケで。
もちろん、親だって神ではなく人間なので、言い過ぎてしまう事は多々ある。
そんな中でお互い上手いコト歩み寄って、なんとかするワケで。
その歩み寄りの中で、多くの人々が助けてくれたコトを、忘れちゃイケないな、、、と思いつつも、今が幸せだったりすると、ついつい忘れがちになってしまうのが大人の私。
忘れていないのが、不登校だった当の本人の息子だった。
普通に生きている子供達よりも、
普通に生きられない子供達の方が、色々な人に助けてもらうコトが多い。
助けてもらった恩を忘れずに、社会に出ていく人間は強い。
感謝の気持ちを忘れずにいられる人間は、社会に出てからが強いのだと思う。
なので、不登校のお子さん達は、その子によってサナギの期間は違うだろうけど、どの子もいつか、強く優しく羽ばたけるのだと、私は思う。
では皆様、本日も良い1日をお過ごし下さいませ
またね



バイト後の息子、このサプリメントを2パック飲んでいた(いつもは1パック)体が栄養を欲しているのか
そのうち、プロテインとか飲みだすのかな