先日東京国立近代美術館にて開催されていた
ゴーギャン展
に行ってまいりました
ゴーギャンの最高傑作
【我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこにいくのか】
所蔵:ボストン美術館
最愛の娘の死と自らの苦悩の中でかかれた作品。
作家の苦悩と生き様が感じられる作品で・・・
ああ、見ておいてよかったと感じ入りました。
写真では見たことがありますが、
本物の筆づかい・色や細かい描写がきちんと見てとれ、
その大きさに圧巻でしたよ。
 
 
その時代の価値観や景色をアーティストの価値観と
感性というフィルターを通して見て感じることができる。
絵はゴーギャンの心を写したもの。
彼の生き様と苦悩や喜び
多くを見て取れます。
本物はなんともいえない迫力があります。
時代を超えて作品でその生涯を表現できるということは
画家さんならではのものなんですね。
見に行く機会を得られて良かったです。
~ゴーギャンの生涯~
| 1848年 
 
 | パリに生まれる。父はオルレアン出身のジャーナリスト、 母はペルーの貴族の血統を引く女性解放運動家フローラ・トリスタンの娘だった。
 幼少期をペルーで過ごす。 1855年頃帰国。
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| 1865年 | 海員として商船に乗り組む。 | 
| 1872年 | パリで、株式仲買商となり経済的に成功、デンマーク人女性メット・ガットと結婚。 ピサロら印象派の画家たちと交流し、作品収集と制作を始める。
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| 1879年 | 第4回印象派展に出品。その後1886年の最後の印象派展まで毎回出品。 | 
| 1883年 | 職を辞して画家を志す。 | 
| 1886年 | ブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在。 | 
| 1887年 | パナマおよびマルチニーク島に旅行。 | 
| 1888年 | アルルでファン・ゴッホと短期間の共同生活。ゴッホの耳切り事件の後パリへ帰る。 | 
| 1891-1893年 | 最初のタヒチ滞在。 | 
| 1893年 | 帰国、パリのデュラン=リュエル画廊でタヒチで制作した作品による個展。 | 
| 1893-1894年 | 『ノアノア』のための木版画を制作する。 | 
| 1894年 | ブルターニュに滞在。 | 
| 1895-1901年 | 2度目のタヒチ滞在。 | 
| 1897-1898年 | 《我々はどこから来たのか》を描く。 | 
| 1898年 | パリのヴォラール画廊で《我々はどこから来たのか》に9点の小品を組み合わせた個展。 | 
| 1901年 | マルキーズ諸島のヒヴァ=オア島に移り住む。 | 
| 1903年 | 心臓発作により死去。 
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