70年前の追体験① 東京大空襲 | 東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略

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今年は、戦後70年です。


70年前、つまり1945年の今日は東京大空襲の日です。


午前0時8分から午前2時半までの間、334機のB29戦闘機が墨田区江東区を絨毯爆撃しました。


使用された焼夷弾の量は2000トンにも及び、一夜にして焼死者10万人、負傷者11万4千人、戦災家屋26万8千戸もの被害が出たと言われています。



これをお読みの若い方にとっては、知らない用語もあるかと思いますので少し解説をします。


まず、焼夷弾について。


B29爆撃機から落下される焼夷弾は内部にM69という爆弾を48個束ねています。


M69は六角鉛筆のような形をしており、その尾部からリボンが飛び出して揺れを防ぎながら爆薬を積んだ部分を下に向け落下します。


そして内部に充填されたナパーム剤がリボンに火をつける為、空から火の雨が降ったような光景になりました。


次に、絨毯爆撃ですが、これは言葉の通りです。


焼夷弾が、1平方メートルあたり3発も落とされて、人も家屋も焼き尽くして火の海になったんですが、その光景がまるで赤い絨毯のようになった事から絨毯爆撃と呼びます。



米軍の作戦の残虐さも語らねばなりません。


米軍はM69の威力を試すために、まずはアメリカ国内に、2階建て12棟の長屋を建設します。


アメリカにはない「木と紙で出来た日本家屋」を再現してまでして、そこに焼夷弾を落として実験したのです。


その際には、畳、ちゃぶ台、箸、炭火鉢、タライまで用意してM69の試爆を行ったというのですから、こだわりが感じられます。


そして、十分に「木と紙で出来た日本家屋」への威力を確認して実際の空襲に臨んだのです。



そして、爆撃の仕方も非常に残虐です。


まず東西5km南北6kmの四方に焼夷弾を落として火で周りを取り囲み、人々がその範囲から逃げられないようにした上で、内部の人間に絨毯爆撃をしたと言います。


戦争での被害というと、まず真っ先に広島長崎での原爆となりますが、広島や長崎でも死者はそれぞれ10万人だと言われており、東京の一夜と同じだけの死者を生んでいます。


空襲はこの一夜に限らず、六大工業都市を狙った後に人口の多い順に日本全国64の都市が焼き払われましたから、原爆よりも酷い被害があると言えます。



今年は戦後70年です。


つまり、私たちが、3月、4月、5月、6月…と日々を過ごすのと同時に、70年前の出来事に思いを馳せながら戦争を追体験することが出来ます。


70年前の一日一日が、当時の日本人にとって大きな一日だったことでしょう。


だから、少なくとも3月10日や、6月23日の沖縄終戦の日など、重要な日付がやって来た時には、当時の人々に思いをはせてみるのはいかがでしょうか?