「誰よりも一番に私を認めて欲しい」
「私を特別扱いしてほしい」
私がお兄さんに求めているものはおそらく、私が父に求めてきたものなのだと思います。
それだけじゃないかもしれないけど、これが一番強いかも。
父は簡単には私のことを誉めませんでした。
あまりにも褒めないのでたまに褒められても気休めとかご機嫌取りだろうくらいの、もはや彼が私に対して発するポジティブ発言は何も信じられない状態でした。
そしてそのまま父は亡くなりました。
亡くなる前の数年間で親子の絆は取り戻しましたが、私の承認欲求は埋められないままです。
初めこそ暴力と罵詈雑言を浴びせる父を憎んでいましたが、結局は私が私を許せないんです。
私が父の理想の娘じゃなかったから。
父の期待に何も応えられなかったから。
でも、後になって周りの人から聞かされたのは、こんな出来の悪い娘にも関わらず父が心底私を愛してくれていたことです。
私には決して見せませんでしたが、何よりも誰よりも私を一番に優先していたそうです。
父の全ての言動はすべて、私に幸せに生きていって欲しいからというその一点で、最後まで悪役を買って出てくれていたのです。
あまりにも辛い現実に適応しようとする中で、【愛されていない自分でいること】が心地良くなっていたのかもしれません。
それによって愛を受け取れない自分を正当化し続けているのかもしれません。
聞こえは変なようですが、要するに、愛されていたことを認めたら期待に応えられなかった自分を心底許せないからです。
暴力と罵詈雑言で心を折られたことにしておけば、私が期待に応えられなかったことを正当化できるから。
目に見えてわかりやすい優しさや愛の形を与えられなかったことを全ての免罪符にして生きてきたのが今の私なのです。
…
今、お兄さんに対して同じことをやらかしている気がします。
父もはっきりしたものをくれない人でした。
お兄さんは求めれば必ず応じてくれる人ですが(実は父もそうですが…)、父の時と同じく私がそこに至っていません。
それが現実です。
前回話題にした可愛い子は元々お兄さんのいる世界のものが大好きで飲み込みも早く、また人懐っこいのでお兄さんも嬉しそうに話をします。
デジャヴ、です。
ここで私が取るべき選択肢はなんでしょうか。
闘志を燃やしてお兄さんの話についていける、お兄さんに認められる私になることでしょうか。
それとも私は私で腹を括って自分のやるべきことにフォーカスすべきでしょうか。
後者、だと思うんですよね。
分かりやすく期待には応えられないし、分かりやすく歓心を引くこともできないだろうし、父の時と同じようにすり減るのかもしれませんが。
それに、これがそういう執着なのかなんなのかわかりませんが、どうしても前者は選べないんです。
本能的に無理だと思ってる。
私は私の目的を持ってたまたま偶然お兄さんに出会いました。
その子や他の人と違って初めからお兄さんを求める形では出会っていません。
私が余裕があれば寄せていくこともできるかもしれませんが、そもそも元の目的を曲げることはできるはずないんです。
でも父の時と同じなら、私は大切に思われているのだと思います。
不思議な形で何度もそう伝わってきたし、最近は実際にもそう言う行動を見せてくれていたけど、それでも私は信じきれていないってことなんだなとこう言うことが起こるたび気付かされます。
この間お兄さんから「目で見えるものに頼りすぎなくなるともっと楽になると思うんだけどね」と言われました。
スピリチュアルどころかばちばち物理的な話の流れではあったのですが、結局それも今私が向き合わなきゃいけないことに必要なキーワードだなあと思っています。
「今度は目に見えるものが与えられないからって捻くれたままでいることの免罪符にしちゃいけないよ」って言われているのかもなあなんて思っています。
お兄さんと再会した直後のとんでもなく冷たい態度で号泣した時、あの時が出会って以来最も泣いた日だったのですが、また大号泣記録を更新してしまいました。。。
なんでこんなに泣かんにゃならんの。。。
でも泣いている間中このことを考えていて、泣き切って少しスッキリしました。
まだ会いたくなるほどまでは回復してませんが、もう一度ちゃんと信じることに向き合いたいって、今そんな気持ちがわいてきています。
例え目に見えるものを与えられなくともお兄さんを信じて、私が本当にやるべきことに力を注げるようになりたいです。
というか、お兄さんを信じないと無理なのかもしれませんね…
なんだか今そんな気がしています。