が、来たのかなあなんて。

わたし、いわゆるピーターパンシンドローム的な状態だったんだなって認める日が来てしまいました(遅)



そして今回もまたそれを引き起こすきっかけとなったお兄さん(彼のこと)を考えるのが嫌になってます凝視



本当に一難去ってまた一難というか、なんという感情のジェットコースターなのかと。

しかし今回結構マジで嫌です、かつてなく猛反発してる。

それほどまでに向き合わされている自分の問題が大きいのですね。

向き合わなきゃダメだと思ってきたけど本当の本当にできなかったことで、今までは辛くて大泣きはするものの割とすんなり納得して受け入れられてきたのですが、今回は最初っからだめ。

心が猛反発してる真顔




そのくらい私は心が大人になることを拒んでいたんだなと。




その気づきの引き金になったのがお兄さんの行動で、昨日書いた【私の偽善的な優しさのあり方】なんですよね。



私の優しさは本質的に自分の身を守るためのもの。

自分の心を絶対安全圏に置くために人の関心を引くためのものであり、同時に人から距離を置くためのものなんです。

受け入れられていると言う安心感は欲しいし、でも踏み込まれたくはないっていう。

全然優しくないです、内側に閉じてるんです。



それをお兄さんに見せつけられる事態が起こったんですね。

本当にキツい、だって、一番好きな人から



「あなたの優しさは優しさじゃない。人のことを本当には大切にしていない」



って言われたようなものだから。

でも…事実なんですよ。。。



「自分の嫌なところを見られたくない、見たくない、でも変わりたくない、なかったことにしてしまいたい」



それが本音な訳ですから。。

優しさでカムフラージュしてたものが究極の自己中だったって事実がめちゃくちゃキツイです



二つ前のブログで、私が現状を変えることを想起させるような言葉を拒んでいるって話を書いたのですが、今の私の行動はそこに集約されるのだと思います。



これが嫌なら自立しなきゃいけない。

精神的にも、経済的にもです。

大人にならなきゃいけない。



しかし今の心境がどえらいもんで「この件に関しては絶対お兄さんに縋りたくない」ってめちゃくちゃ拒絶してるんです。

こんなこと初めて。

いつもは何やかんやで助けてもらってる好きってなってたのに。



でも、です。



そんなことが起きた

私ピーターパンだったのか…(超恥ずかしい)

…ちゃんと大人にならなきゃいけない!



と言うシフトが起きたのは、私の内なる子供がすでに満たされ癒やされつつあるからです。

そしてそれは紛れもなく、お兄さんが作り上げたコミュニティの人々との交流で促されたものなんですね。。

子供らしい子供時代を送れずに捻くれて執着していた私を笑って受け入れてくれた、あの人たちがいなかったらこんな変化は起こらなかった。



…なんかやっぱり結局お兄さんに救われてるんですよね。

まさかこんな形でもって感じです。。

くそー…かないません。。。




お兄さんと出会って一年ちょっと。

ツインレイプログラムの具体的なステージについてはもはや追っていないのですが、なんと言うか今、序章が終わったと言う感じがします。

ここから私の立て直しが始まるんだと思います。

それだけははっきり感じます。



お兄さんのことを愛おしく感じる気持ちは変わりませんが関係はどうなるかわかりませんし、不思議と今この瞬間それを求めていない自分がいます。

と言うか多分私の立て直しが進む間、お兄さんは彼の助けを必要とする他の人のところにいく気がします。

そう言う人なので。今よりもっと構われなくなるかもしれない。



それをどうこう思うより、今ようやく私が私を生きるためのスタートラインに立てている気がして、変化していこうとしている私にワクワクすらしています。

子供時代に閉じていた自分の心を破って本当の意味で外に開いていく予感、それを現実にできるように頑張りたいです。