あああ。40歳まで無事に生きてこれた。これってすごい事だと思ってる。フォトグラファーのヨシダナギさんが、ここまで生きてこれたのはすごいなって言ってたから、来月は私の2回目の成人式を迎えるわけであります。素晴らしい!!!(笑)春だけに陽気です。言われる前に行っておこう。
(生まれた場所は青森県青森市・育ちは宮城県仙台市)
世間でいう誰もが羨む明るい家庭に育ってきたわけじゃない。色々あった。両親の事を、今は好きで感謝しているけど、色々あった(察して下さい)
だからこそ、家族にこだわってしまってるのかな?とふと.思う事がある。
今日は家族について。家の中で他人と暮らすということ、小さな社会。環境ってすごい大事。大事だよもう、歳を重ねる度にひたすら思う。
子供の記憶は死ぬまで一生、大人になって、あれ?私の知ってる「常識」や「価値観」と違うな?あれ?
頭の中で育ちの常識と自分が感じた常識がどんどん付属品のようにプラスになってゆく。そして、1人の人間に作られていくのではないでしょうか?
私は世の中と我が家の振り幅をひっそり感じ生きてきました。それに落胆してた訳じゃないんだよね。
今はそれが内側にある鎧。反骨精神や家族の強さや人を愛したいと思って生きてる自分に繋がってる。
(自然に癒された休日・私の生まれた土地)
家族の悪口を言う人が苦手だ、もっと言えば奥さんや旦那さんの愚痴や、子供が嫌いとか
なんだろうか、私は明るい家庭の理想像というものが膨らんでるのかな?家族を大事にしてる人がとても好きだ。仲が良いというのは、本当に尊い。相手がいなければ自分1人じゃわからない幸せも沢山あるのだ。
私は、周りの人に恵まれてどうにかこうにか生きてる、前職のピピリリのお客さんは本当の家族を愛してる人が多かった。私が求めていたからそういう人が集まったのかな?
理想の夫婦しかり、可愛い子供しかり、マザコン、ファザコン、シスコン、ブラコン大いに結構です。結婚の形にこだわりがなく、真っ直ぐに恋人が好きな人も多かった。愛のある生活をそれこそ教えてくれた。
「永遠」ってうっすいペラペラなものだと思う。だからこそ、愛は難しいのね、愛の醍醐味。
私は恋より愛が好きだ。(これはまたいつか話そう)
友達も同じ、愛の人が多い。何年経っても、母になっても変わらない関係性。仕事してきた仲間たちもどこにいてもずっと変わらない。ずっと一緒にいなくてもそれぞれが.幸せなら素晴らしい。嬉しい。
(寺山修司記念館のガチャガチャ)
世の中いろんな情報が溢れていてたまに正しい判断ができない事もある。え?と思うことも溢れている。できたら人と関わりたくないと思う日もあるし。犬の方が好きだと言いたくなる日もある。毎日善き人で入れませんわ。ほほほほ。なるべくイライラしないで生きていたいからさ。は???って思った時は、出会った大事な人と自分の心を信じる。100人反対でも1人の親友を信じてしまう場合もある。大事な人とは心の根っこが一緒だと思ってるのよ。
優しい人ばかりで私に(僕もあり)出会ったから、大丈夫ですよって行ってくれる友達。
どうして?っていう優しい言葉くれる人もいる。
私はやっぱり人っていいなと思う。
(ただ眺めてる時間・大切な時間.心持ってかれる)
1人が2人、2人が3人。
そうやって愛は細胞を巡らせる
家族とは不思議だなぁと非常に思う
例えあんなにケンカして、腹が立っても、心の隅ではシクシク痛む。
家族さえ、助かってくれた、幸せでいてくれたら、恋人さえ笑ってくれたら、そういう言葉であまり会話しない、出来ない事をお客さんから、両親から、もしくは、生まれてきた時からもらってきたのに忘れてただけで、人と出会って圧倒的に感動して、思い出すのかも知れない。