以前、右の肩をかばって左腰をやられ、左腰をかばうために右の股関節をやられ、結果、身体が捻れてしまいました、というブログを書いたのですが、先日エアコンのフィルターを掃除していて気づいたのです。
身体だけじゃなくて、能力も同じだな、と。
わたしはモノの構造を把握するのがとんでもなく苦手で、エアコンについている2つのフィルターを同時に掃除することができないのです。
なぜなら、一度はずしてしまうと構造がわからなくて自分では二度とつけられなくなってしまうからです。
ですので、付け方のサンプルとしてひとつフィルターを残して水洗いし、乾いたらエアコンに装着して、また次のフィルターをはずして洗うという手順を経ます。
こう書くと、わたし可哀想ですね![]()
で、この能力のなさをかばうための能力が発動します。
わたしの場合、それはサンプルが横にあれば想像力だけで真似ができるという力を身につけました。
例えば高校時代、セーターを編むのが流行っていたのですが、編み物の本を見てつくろうと思ったら頭が爆発しそうに
あの×と-と◯の編み図!!!!!
で、一計を案じたのが「これと同じセーターを編もう」と複雑な編み込み模様の入ったセーターを買ってきて、それと同じように編んでみました。
いや、現時点でそこまでのことは絶対にできないので若さゆえの性能だとは思うのですが、構造を把握できない分、感性だけでしのげる能力を発達させていったのかな、と思います。
で、娘ちゃんの話です。
とにかく適当。
学校から出た宿題が1ページから10ページまでやりなさい、だったとします。
「できたー
」と当人が思っているものが、絶望的に歯抜けなのです。
1ページから6ページまでやっていて、後半4ページ忘れている、ならまだ理解できます。
でも娘の場合は違います。
同一ページの中でもやっていない問題があり、まるまる見開き2ページやっていないところもあり、やっているけど丸つけしていない問題もあり、めちゃくちゃランダムな形でやっていないのです。
でも本人はやった気でいます。詳しく聞いてみると「やってないかもしれないということは心のどこかでわかっているけど、わかっているだけに確認をして現実を直視するのが重たい」と言います。
また「小テストのために苦手な問題だけチョイスしてやって、そのまま残りは放置していた」と、歯抜けの理由も一応はあります。
とはいえ結果だけ見れば、完璧主義の反対です。非完璧主義。適当主義。終わっている気がすればOK主義。
そんな適当を積み重ねていると重大な問題が発生します。
それを補完するために強化した思しき力は、反射能力です。
例えば、で思いつくお話。とにかく適当なので、論文発表の直前でタブレットの電池残量がゼロになり準備していたことが全く使えなくなった娘ちゃん、頭が真っ白に飛んでしまったので、逆に秒で新しいことを考えてプレゼンしたそうで、のちに先生から用意していた内容より全然よかった、と褒められたそうです。
そう。真面目に準備していたものより、追い詰められた状態でとっさに出てくるもののほうが斬新で魅力的なのが、非完璧主義と引き換えとして手に入れた異能力なのでしょう。
重大な忘れ物やルートの失敗があっても、現場で解決案を出し何とかしてしまう、何ならそっちのほうが結果的に良かったこともある(もちろん、単なる応急処置の場合も多々あり)ので、ますます適当癖が直らないという、わたしの体のような歪んだループに入り込んでいます。
たぶん娘の本質に近い部分の特性なので、注意しても怒っても諭しても直らないし、うまく誘導して完璧にやれるような子に矯正しようとしても心が壊れるような予感しかなく、「ビックリドッキリやり残しSHOW」として楽しもうと心掛けています。
あと、わたしも完璧主義ではなく、言うなれば効率主義というか最短主義なので「ま、仕方ないか!」と思えるのかもw
タイトルには「欠けた能力を補完して生きる」とありますが、「能力を」は「能力は」に変え、その後に( )つきで、「しかない」がつくのかな、と。
欠けた能力は補完して生きる(しかない)。
うん、わたしも夫もそうだもの。
と思っていないとやるせない数学の宿題ノートや、英語の試験範囲の問題集が目の前にあるわけで……![]()
机に向かえど向かえど、なお娘の宿題終わらならざり ぢっと宙を見る