今日はちょっと母のことを書こうと思います。
母は平成9年に卵巣癌になり、平成14年に亡くなりました。
9月下旬に、横になっているときにお腹を触ったらしこりがあって
なんだろう??っと気になって、最初子宮筋腫かな??くらいな
気持ちで個人病院の婦人科へ行ったら、紹介状を書かれて
すぐに大きな病院へ行って下さいと言われました。
この時点の自覚症状はまったくなし!
のちの検査で腹水もありませんでした。
母は病気らしい病気はしたことがなくお産以外の入院経験もなし。
のんきに仕事なので休みの日に病院でもいいですか?っと
聞いたらすぐに行って下さいっと言われたらしい。
翌日総合病院へ~
次から次へと検査を入れられ、10月中旬入院、手術っと言われました。
この時点でも私たち親子は事の事態を把握しておらず、
(当時はすぐに告知ではなかったです。)
あまり危機感がありませんでした。
入院までの間、胃カメラ・腸のカメラなどの検査をすべて行い、
いよいよ入院。
入院には父が付き添って行って、私は仕事の帰り夕方病院へ。
そこではじめて、母の病気が悪性腫瘍であることを先生に告げられ
驚きと悲しみの中、のちの手術となるのでした。
卵巣癌は自覚症状がないというけど、のちに母が言ってましたが
自転車に乗って踏切を渡ったらお腹に響いてなんだろう?って
思ったことがあったっと言ってました。(6月頃のことらしい)
10月の手術、あまりにも癒着がひどくすべてを1度で取り切ることは
できなくて・・・手術後先生に「抗がん剤の効かないタイプなら半年かも・・・」
みたいなことを言われもう私の頭の中はパニックでした。
今みたいに術中の迅速検査はなかったので組織の検査結果が出るまで
ひたすら祈っていました。
そして、手術から10日程で説明を母を交えて聞きました。
抗がん剤が効くタイプのものだったこと。
先に3回治療をしたのち、2回目の手術、そして3回治療までの
説明を受けました。
母は自分の事情がわかっていなかったため、もう一度手術をすることを
泣きながら嫌だっと言っていたけど、私たちにしたら最悪の事態では
なかったこと!ただそれだけで安心したのを覚えてます。
手術後痛み・・・母はすごく痛くて大変そうだったけど、私はあまり辛く
なかったのは痛み止めが良くなったからなのかな???
ちなみに母の組織タイプはわからないです。
ただステージは3Cでした。
長くなったので、続きはまた・・・