母の介護施設探しを本格的に始め、気持ちが乱高下しつつ過ごしています。どこも良し悪しがあり、中々難しいですね。雰囲気良いけど空いてない、雰囲気良いけど立地が、などなど。


そんなこんなで、ブログどうしようかななんて思ってたら、そうだ、オカメインコのお話してなかったなと。


私のブログのアイコンは、私が思い悩んでいた時に雲として現れてくれた飼っていたオカメインコのまるちゃんです。


彼女が虹🌈の橋を渡って一年半。

なんと約29年も生きてくれました。

オカメインコ飼ってる方なら、29年は別次元である事がよくわかると思います。

勝手に目指せ!30年なんて言っていたのですが、最後の最期まで、立派な生き様でした。


あんまり触られるのが好きじゃなかったので、ニギコロは出来なかったけれどチュー


社会人になって初めて迎える冬にお迎えしました。

餌も赤ちゃん用に湯煎して、栄養剤を足して、お口に入れてあげました。大人の1人餌になったときは、少し寂しかったな。

当然ながら、何も教えてなくても飛べるようになり、いつでも私の後をついて来ました。頭に乗せたまま、食器洗いをよくしていました。


一人暮らしだったので、寂しい思いもさせてしまいましたが、実家に帰省する時も鳥カゴごと、車で一緒に帰っていました。


私の社会に出てからの人生をずっと見守ってくれていました。病気の時も、結婚も、離婚も、父の死も。

離婚した後は、私がまた一人暮らしを再開するにあたり、賃貸である事、離婚が成立するまでの数ヶ月は一緒に実家にお世話になっていたので、実家で面倒を見てくれることになりました。

この時にはもう20年近く生きていたので、一人暮らしの私の家では寂しい思いをさせてしまうだろうこともありまして。


常に人のいる環境は晩年を過ごす彼女にとっては、とても良い環境でした。

飼い主である私よりも姉を大好きだったので、嬉しそうでしたよニコニコ


なんと生後10年経って、初めて産卵し、そこから彼女はやる気(産む)にみなぎっていました。とても体力を使うので、晩年は気を逸らして発情させないようにしました。


よく本にパンはダメ、ご飯はダメなど鳥の健康のために色々な事が書いてありましたが、それこそ好きなもの食べて楽しく生きれるなら、それもよしという事で、もうこの歳になったら良いだろうと結構色々なもの与えていました。豆腐だけは不思議な顔してましたが爆笑

人間もそうだと思いますが、1番ダメなのはストレスなんだと思います。


だって、自由に食べさせてて29年生きましたから爆笑

真面目にこうじゃなきゃ、こう育てなきゃダメなんだって思いがちですが、それって鳥にとってそうとは限りませんよね。人間がどんなに偉いのかって話です。

ペットとして生きる動物たちは、人間の手に全てかかってる。全存在を人間に託す。それって、彼らは私たちに無償の愛を与えてくれてる。本当にそう感じます。

だからこそ、何が正しくて何が間違いなんて言い切れない。


もちろん、うちの子が素晴らしく健康だったこともあると思うので、一概に言えないのですがね。


そして、あれは、彼女が25歳の時。

すごく痛そうに震えていました。どうやら目を傷つけてしまった様子。目の奥が化膿していたようで、お薬を処方してもらいながら、様子を見ました。

目の奥の傷跡は治るのに半年以上かかると言われていたのですが、脅威のオカメインコのまるちゃんはなんと治癒をさせました。

病院の先生でさえ、25歳ですって言ったら、恐れ多くて触れないと。ストレス与えてしまったら大変なのでと。


そんなこんなで、様々なピンチを乗り越えながら長生きしてくれましたが、最後の一年くらいは肩のつけねを自分で傷つけてしまったらしく、そこをずっと気にする生活。結局この怪我が虹の橋に近づく事になったしまったと思います。とはいえ、傷を見つけてから一年近く生き続けました。


動物もスピリットになり、いつでも私たちを見守ってくれる。

それをまるちゃんが雲となって教えてくれました。


動物からのメッセージを受け取れる仲間がいるので、亡くなった当時、彼女にまるちゃんからのメッセージを依頼しました。

そのメッセージを受け取った際の一つ。

「小さなプレゼントを置いてきたよ。それはね、〇〇ちゃんが(私)ほっとした瞬間。それがプレゼントだよ」

あまりの可愛さに、涙が止まりませんでした。


雲となって現れてくれた時、まるちゃんの言う小さなプレゼントどころか、大きな大きなプレゼントを受け取った瞬間でした。


何気なく写真に撮った雲。


そこには大きな愛が溢れていました。



亡くなる半年前の28歳のまるちゃん

何と2年前の今日撮ってました爆笑