私たちはこうであらねばならない。そんな思考に占拠されてる人が多いと思います。

私もその一人。でも、私はそういう自分に気づいています。

小さな頃の私は自由で、いっぱい遊んで泥だらけで帰ってくる子どもでした。

小学生になった頃、ありのままの自分、ありのままの表現が色んなことをきっかけに出来なくなりました。

写生会で動物園に行きました。小学1年の私は動物園だから、動物を描けば良いのだと思い、四つ切り画用紙いっぱいに1羽のペンギンを描きました。四隅が寂しかったので、それぞれ違う色、4色で空間を埋めました。担任の先生にどうして、ここに色を塗ったの?と聞かれ、楽しいからと答えました。その頃の私は、先生の質問の意図を汲み取る事が出来ず、何でそんな事聞くんだろう、ダメな事だったのかなと感じてしまいました。

出来上がった作品はもちろん教室に飾られます。そうすると、みんなの絵は景色と共にいる動物の風景を描いていました。その時の小さな私は私間違ってたんだと、思い込んだのです。

そう、みんなと一緒じゃなければ正解じゃない。景色と一緒の動物を描かねばならなかったのに、間違っちゃった。と自分に間違った価値観を埋め込みました。

担任の先生は、ちゃんと賞をくれていたのに。自由な表現を評価してくれてたのに。

そこから自分を枠に押し込める人生を歩くことになりました。

全てはみんなと違うとダメ。

こうであらねばと。

その感覚が長く続いてしまうと、不満が心に宿ります。日本人によくあることです。でも、みんなほぼ気づいていません。

心の奥に押し込めた事は見たくないから、見ないようにインプットするものです。でも、あるのです。心の中に。だから、自分が我慢している事を自由に表現している人を不満に思う心がある。

自分の中の「ねばならぬ」

手放した方が良い。


EUROPEの4thアルバム

OUT OF THIS WORLD

当時は酷評されました。

でも、私は大好きなアルバム。なぜなら、ここから大好きになったから。今の彼らが演奏するこのアルバムは、他のアルバム同様名曲で、あの頃の酷評が嘘のよう。

何故なら、ヘヴィメタルとはこういうもの、ハードロックとはこういうものというカテゴライズされた中で他人が評価していたにすぎない。

ここにも、ねばならぬが存在するのです。

また、商業的にも周りのねばならぬが存在し、当時彼らの表現したいように出来なかったように思います。

その時の、彼らはそこに留まっていたわけではない。

カテゴライズされた中で表現する事が目的ではなく、自分を表現する事だけが大事だったはず。

だからこそ、こんなに続いている。


初めて大本命のライブに参加できた喜び。

1バル席、座る人がほとんど。

これにも驚いた。

当然立つものと思ってた。

あれ?私のシートの人、立ってるの私だけ😅

でも、楽しみたい。後ろの人ごめん。でもね、自由な表現ってこういう事だよ。他のアーティストなら、合わせて座っていたかもしれない。

EUROPEだけは無理なの。私の魂を震わせてくれる何かが彼らにはある。

2月1日、長く、持ち続けていたねばならぬを解き放った瞬間でした。

私にもこんな事出来たんだなと、新たな発見ができた。

でも、EUROPEコールしたかったけど、誰もしてなくて、それはまだ私にとってハードル高かった。

今度、仲間と一緒に参加できたら、絶対EUROPEコールをしてみたい!