もう17年も経ったけれど、あの早朝の突き上げる震動…

私は大阪でひとり暮らしでした。携帯がまだそんなに普及していなくて、親とも友人とも連絡がとれない長い時間。

大好きでしょっちゅう通っていた神戸は一瞬でいつもの神戸ではなくなった。

あのときは耐震がちゃんとしていなかった建物がまだ多く、すぐ隣の県で建物に埋もれて毎日人がなくなっていく…
“地獄”や…と思った。



大阪の病院は精神的にも身体的にも限界になった兵庫県の方で溢れる病院もあった。


生き埋めで亡くなる人を何日間見ないといけないのか…生き埋めで亡くなる人が毎日どれだけ増えなきゃいけないのか…



テレビも観られない状態の中、関西は沢山の他地方の方に助けて戴いた。
地獄絵の中に人のぬくもりを改めて知った災害でもあった。


「ありがとうございました!いつかご恩返し致します!」という気持ちでゆっくりゆっくり立ち直った。


あの災害から耐震の見直しはだいぶかかったけど、昨年の津波は…

想像を遥かに越えた。



またテレビが観られなくなったけれど、だけど、とにかく義援金を少しでも送らせて頂きたくて郵便局に通い、そして昨日、東北大震災の追悼と復興に祈りを込めた演奏をさせて頂けた(ノд<。)゜。



ひとりの力は微々たるものです。

でも神戸の空に向かって『あのときのご恩返し出来たかなぁ』とつぶいたら、『まだまだやなぁ』って笑われた気がした…


復興へのながい道程、私はこれからも微々たる協力ですが、させて頂きます!

みーんなで“和”になろう!


最後に…本当に阪神淡路大震災のときにはありがとうございましたm(__)m

決して忘れません!

これから東北の復興に時間がかかろうと、私は協力し続けさせて頂きますm(__)m