今の自分に、刺さりまくった章がありました。


一文をご紹介します。

【現実を無視して、愛されて育った人と同じ土俵で生きているふりをしている。】

そうすると、憎しみが生まれる。


自分の土俵の中で生きる。アダルトチルドレンゆえ、また、元々生まれ持った能力的にできないこと、苦しいことも多い。でもこれはできる。できることをやって、少しずつでも幸せになろう。最善をつくそう。


この土俵の中で、楽しいことを探そう。


立派な土俵を持つ他人のことが羨ましくなったら、それを真似したくなったら

土俵が違う。と唱えること。


この自分で、この小さな低い土俵の中でどうやって少しでも幸せを感じられるか?


具体的に言うと

子どもの人数や、仕事内容、家事レベル、友達付き合い、容姿など


私はやれることが少ない。


子どもをたくさん産みたいけど自分には無理だと知ったし

仕事も世間一般的に見ていわゆる底辺、3Kでイケてない

家事も疲れるので最低限しかできないので家は綺麗とは言えないし

友達関係、ママ友付き合いなどはいつも必死。自然なリラックスした人付き合いができない。

容姿は残念過ぎる


でもそれを受け入れて、自分が得意なこと、好きなことをなるべくやっていくこと。人が羨ましいからって真似をしないこと。(自分にはできない、苦しいのだから)



子どもをたくさん産みたいけど自分には無理だと知ったし

→一人っ子でいい、大切に育てよう


仕事も世間一般的に見ていわゆる底辺、3Kでイケてない

→正社員を続けているだけで充分、生きていくのに困らない稼ぎがあれば充分じゃないか。綺麗な本社で綺麗な格好してカッコいいキャリアウーマン風、を装う代償に、キツイ顧客対応、多すぎる電話やメール、心臓をつままれそうになる商談にプレゼンにクレーム、、全然自分には合っていない。

汚れ仕事、でも精神的なストレスが少ないほうの現場仕事が私の性に合っている。


家事も疲れるので最低限しかできないので家は綺麗とは言えないし

→家族が快適に暮らせれば充分、週1で水回りを掃除しているだけえらい。継続すればいい


友達関係、ママ友付き合いなどはいつも必死。自然なリラックスした人付き合いができない

→結果、温かくていい人間関係が築けているのだからいいじゃないか。気を遣えることはいいことだ


容姿は残念過ぎる

→夫は私を好いてくれているし、自分を理解し始めてから快適な服装やメイク、髪型を少しずつできるようになってきた。これからも試行錯誤していこう


そういった思考で、無い無いと喚くのではなくてやれることをやる、自分の中で幸せを見つけていく。