私が人生で出会った人たちの中で、恩人というかその人と出会えたことで価値観が変わった人が3人います。


そのうちの1人、ボロを着ていても心は錦 を地で行く元同僚(年上女性)の話です。


私は毒母に育てられたからなのか


世の中みんな自分を貶めようとしている、

出会う人たちからは何かしら(お金だったり称賛だったり愛)を得たい、奪いたい

という意識が根底にありました


元同僚は、そんな私と真反対の、世の中の人は自分に良くしてくれる、出会う人たちには与える、という感覚を持っているだろう人(深い話をしたことはないから分からない)

淡々とどんな仕事でもこなし、いつでも心が穏やかでフラットで人を蔑むようなことを言わない人でした。


私にも、とっても優しくしてくれました


私は、その同僚が気に食わず、貶めようとしたこともありました


その元同僚には、その貶めようとしている行為が全っく響いていませんでした 気がついていないと言うか、そんなことを他人にされるという概念を持っていなそうでした


変わらずにずっと接してくれました


大きな、何かしらの満ちた自信のようなものがあって


特別外見が綺麗とか仕事ができる、とかでは無かったけど


当時は気がつかなかったけど、親から愛情をたっぷり受けて育った人だったんだと思います


そういう人って、一番幸せだと思います


その人は自分の洋服に興味がなくて、靴もボロっボロ


私が異動する時には、いや、このプレゼント買わなければその靴新調できるのに、、


と思うくらいの立派な、私の好みを考えたプレゼントをしてくれました。


何もその人にお礼されるようなことをしていないのに。私に好かれたいとかそういうことでもなくて、ただ一緒に働いた同僚へ餞別した、という感じ。それでこのレベルのプレゼントしてくれるのか、ともう私は当時混乱しました。


それから十年あまり経ちましたが1度も連絡を取っていないし、どうしているかも分からないくらいの人に、、


親から愛情を受けて育った人は、自分自身の思うように生きていて、誰からどう思われるとかを本当に気にしていない。


自分が、自分が、とわざわざならなくても

もう充分に満たされているので必要がない


そんな感じが溢れ出ている人でした


あまりに価値観が違いすぎて、自分がおかしいのか?と色々と学ぶキッカケになった人です。


本当に感謝しています。


世の中、わりとこういう人って多くて


もう、こればっかりはあふれ出る雰囲気、出てくる言葉でわかってしまいます


ルッキズム、お金、成功、そんなことを超えたものを持つ人。


私には無かったけど、息子は持てるかな。