アンリエット・ウィルビーク・ル・メールは個人的に非常に好きな挿絵画家のひとりです。
初めて彼女の絵を見たのは18年前のことで、“ THE CHILDREN'S CORNER ”でした。ロンドンの古書店で見つけたスタイリッシュで洗練されたその本の挿絵は80年以上も前に描かれていたのが信じられないほどでした。柔らかなパステルカラーの挿絵は、内側の飾り枠にあわせて切り抜かれて頁に貼り付けられています。
古書店のご主人にアンリエットのこと、初版とリプリンツの違いなどを説明していただき、少し高価ではありましたが1914年の元版のものを購入しました。その時に同時に勧められたのが初版のダスト・ジャケット付きの“ GRANNIE'S LITTLE RHYME BOOK ”です。
今回はこの2冊と「くまのプーさん」の著者であるA.A.ミルンの“ A GALLERY OF CHILDREN ”を取り上げます。アンリエットのその他の本については折を見て取り上げたいと思います。
“ GRANNIE'S LITTLE RHYME BOOK ”
(Augener Ltd. & David McKay. 1914)
アンリエットは、1889年4月23日にオランダのロッテルダムで生まれました。
彼女の両親は芸術に関心が強く、父親はスケッチを描き、彼女の母親は詩を書くことを日課としていました。
たとえば彼女の父親は、彼が就寝前のアンリエットたちに童話を話し聞かせている間、聞いている子供たちの姿をスケッチしています。そのスケッチは現在もオランダの美術館に数枚残されています。
“ THE CHILDREN'S CORNER ”
(Augener Ltd.& David McKay. 1914)
彼女は絵画に関して天賦の才を幼少にして発現します。彼女の両親はその才能を認め彼女が5才の時、フランスの挿絵画家モーリス・ブーテ・デ・モンベルに会うために、彼女の両親は彼女をパリへ連れて行きました。そこでアンリエットは解剖学を勉強することと肖像を描くことに取り組むこようにとのアドバイスを受けました。その後、彼女は、2年間をロッテルダム・アカデミーで美術を学び、基本的な技術を身につけます。更にアンリエットを教えていた図画教師の1人は、彼女に対し、円の中で踊っているモデルをスケッチするように指示をだし、それを通して彼女は緩急の表現と動きを捉えることを習得しました。
1904年、アンリエットが15歳の時に最初の本「Premières Rondes Enfantines」がフランスで出版されました。翌年、彼女と彼女の母は3冊の本に共同で取り組みます。彼女の母がテキストを書き、アンリエットはそれらに挿絵をつけました。
“ A GALLERY OF CHILDREN ”
(Stanley Paul & Co. Ltd. 1925)
周囲の環境は彼女が芸術を身につけるために最適とも言えました。彼女の家は保育所を経営しており、それは子供たちを観察する良い機会を与えました。彼女はその子供たちの様子を注意深く、抑えた色と装飾的な線を使用して描きました。またこの時期、彼女はゴーダ製陶社のために「子供用の朝食セット」の食器の装飾とパッケージのデザインなどもしています。
アンリエットは両親と共にアラビアを訪れたのを境にして東洋の哲学に大きな関心を抱きます。特に謙抑的な教義を持つイスラム教に強い興味を示しました。1920年にセルース・カーケン(セルース・ケルゲン)男爵と結婚、名前を「サーイダ」と改名(“ A GALLERY OF CHILDREN ”の扉には“SAIDA”と記名しています)し、同時にスーフィー教に改宗します。以後はオランダのハーグに定住し、挿絵を描きながら、夫と共に貧困救済などの慈善活動や保育園の経営を通じて子供の情操教育に尽力しました。
1969年に77歳で逝去するまで、アンリエットはその生涯において「A Gallery of Children」(A.A.Milne)、「 A Child's Garden of Verse」( Robert Louis Stevenson)を含む14冊の本を出版しています。
現在、アンリエットの絵本の邦訳版は見当たらないようです。下記2点も絶版となっており古書でしか見つけることができません。洋書であれば現行で販売されているものが多く簡単に入手することが可能です。
「ル・メールのマザーグース・メロディ」(楽譜)谷川 俊太郎訳 偕成社 (1993/02)
「こどもの情景」 A.A.ミルン (著)、 早川 敦子 (翻訳)、 パピルス (1996/06)