道楽というものは様々ありまして。
江戸の頃には、花、釣り、俳句などが代表とされていました。
花であれば、菊、椿、朝顔などが隆盛を極めていたのを知る人も多いと思われます。
園芸は花に関わらず庭石に憑りつかれた石道楽、古木や奇樹を収集した樹道楽というのもあり、庭のみならず家を直したり建て増しすることに執心した普請道楽と言うのもあったようです。
その他にも酒、料理、色事、博打もありますね。兎に角、人が興味を示すものであれば全てが対象となり、その「好き」が昂じれば何でも道楽になります。
その道楽に「本」もあり、それに耽りきった人々を「書痴」と呼ぶそうです。
曳舟にその見本がありましてご紹介させていただこうかなと思う次第です。
ご紹介の前に序の真似事などを置かさせていただきましたのは、少しは手を加えておきませんと、「早速、丸ごと居ぬきの借り受けか」と後ろ指を指されますので。
と言うのも、FC2でブログをやっておりまして、そちらが目標を果たしたというか、いろいろ書いてしまったのでカオスになってしまったというかですね、わけがわからない状態でして。
で、つまりはこちらに一部を引っ越しさせていただき整理して行きましょうと計画したわけです。
その最初に「古書」のサロンという信じられないものが存在することを取り上げさせていただきます。古本屋なら理解できますが、「読んでいただく」という目的を主眼に置いた「売らない」古書店という奇特な空間が東京の下町、曳舟にあるのです。
以下、元記事のコピペですみませんがご紹介させていただきます(追って補足記事を書くつもりではいます)。
" LE PETIT PARISIEN "と言う異空間
La personne qui a été évincée と、自分のことを呼ぶ人々がかつてパリの街にいました。
彼らはオペラ座付近のカフェやパリ一区から締め出され、モンマルトルからモンパルナス、そしてペルヴィルへと流れ、やがて方々に散って行き、またモンパルナスへ戻って来るような、そんな人々です。
思い浮かべるのなら、美術、詩、音楽、政治や哲学を論じ、自論を曲げることなく時代に抗った、若しくは、世間から理解を得られなかった人々。
例えば、エリュアール 、ヴェルレーヌ。
例えば、モジリアニ、クートランス。
或いはカミーユ・クローデルの狂気もこのうちに含まれるかもしれない。
棲み処を探し求め彷徨った、或いは、風変わりであったがゆえに社会不適合とされた彼らを、岡本かの子はまとめて「パトリエート」と名付けました。つまり、追放された人。
けれど文字通りの追放者ではなく、寧ろ、門外漢と言い換えたほうが分かり易いのでしょう。
パリを愛し、パリとともにあっても、疎外された人々。
彼らはパリ以外の地からやってきて、活発な創造力を以って個々でありながら有機的で独特なコロニーを作り上げて行きました。
パリの街にはいつの世もこういった風変わりな人々を呼び寄せる奇妙な香りがあります。それはパリ自体が放つ香気ではなく、小さな磁気が集まって大きな磁場を作り上げたのかもしれません。類は友を呼ぶ的な何か。
いずれにしろパリには「落ちる」ものが溢れているのは事実です。
恋、とか。
のっけから、また何の話をしているのか」と思う人もいると思いますが、人が場所を選ぶことの序みたいなものです。
彼らが同朋を得ては離れ、孤独に煩悶し、貧困に喘いで、猶もパリを選ぶということ。つまりね、他人から見て悲壮感に溢れていても、現実において本人が苦渋に押しつぶされていようとも、その場所を動かない決意を保つというのはそこが真の居場所であると信じているからなんですよね。
人間というのは居場所がないと生きていられないんですよ。それは土地というものに限ったことではなくて、友人、恋人、家族とか含めてね。たとえパート・タイムであっても自分を必要としてくれるものを探しているんです。その中で本当に自分の存在を認めてくれる人や地に出会えると信じてね。
木枯し紋次郎や子連れ狼だってイベントで彼らが必要とされなければオープニング・テーマで The End なんですよ。物語にならない。漂泊に身を置いてもその人を必要とするイベントが発生するから、彼らは生きて行かれるんです。
(話が逸れそうなのでもとに戻します。)
考えると憧憬と妄想は同じだと思いませんか。目指しているものの健全さに違いがあるだけで。
そう、営利を除いて人が集まるということは、この憧憬、若しくは、妄想を等しくするシナジーを互いに感じ取っているからなんです。単純に言えば「気が合う」ということです。
そこには賛同もあれば否定もある。対立もあるし協調もあります。いけ好かない奴だけど気が付けば何だかいつも一緒にいるな、みたいなこともね。味方だけでは人生が充実することはありません。当然、共に歩む敵も必要なのです。そしてその全部を含めて自分の居場所なんですよ。
そんな硬質で前向きな話とは別に、僕のような家庭難民にはね、外部における居場所が必要不可欠。会社もそうですけど。だけど会社はね・・・、いろいろあります・・・。言わずもがな。
まあ、世知辛い話はウルツァイト窒化ホウ素で作られた箱に入れ、秘密の地下闘技場にでも丁寧に放置しておくことにして、僕にとっては大切なカフェの話をしましょう。
最近、「立ち寄りたい」と思えるカフェ?を見つけたんですよ。実際に足を運べるのは月に1,2度なのが残念。
ご存知の方も多いですが僕は仕事での行動範囲は広いけれど、個人としての行動範囲は引きこもりに近い。
新たな場所にチャレンジしないせいと、行きずりの場所に関心がないためです。その僕が新しい居場所を見つけるというのは自分でも画期的なことだと思っています。
東京都墨田区東向島2-14-12
東武スカイツリー線「曳舟駅」より徒歩1分
TEL 03-6231-9961
http://le-petit-parisien.com
営業時間 13~18時、19時~24時
お店の名前は、 " LE PETIT PARISIEN "
きっかけは一冊の本。
今年の6月に「ユメノユモレスク」という夢野久作の短編集が書肆侃侃房から発刊されました。
挿絵を、アルフォンス・イノウエ、杉本一文、林由紀子、宮島亜紀という個性豊かな現在を代表する銅版画作家が担当しました。
既に上梓されたこの普及版とは別に、ルリユールのように一冊ずつ手で製本される特装本の発行も来春に予定されており、その特装本の予約会を兼ねた原画展が " LE PETIT PARISIEN " で開催されたのです。
そのためだけに踏み入れた一歩が、以後も続くなどとこの時点では予想だにしません。
最初の印象は、一見さんお断り、常連客歓迎的な雰囲気。
座って良いものか躊躇するテーブル席、どこに立っていればよいのかわからない狭い店内、カフェなのかバーなのか判断のつきかねる屋根裏のバールのような雰囲気がその印象に力を貸したかもしれませんね。
けれど帰るわけには行かないんですよ。用事があるわけですから。予約しないといけない。
で、予約を済ませてから、足を運んだ以上、何かを得て帰らなければ僕の気が済みません。しかし、展示されている原画は4点、他には夢野久作に関する作品が数点並ぶのみ。作品に関わることに限定すれば一瞥で終わってしまいます。
正直、「どうしようかな・・・」と思い始め、俯いた僕に一冊の本が飛び込んできました。俯くことは時に大切です。
龍胆寺雄の「かげろふの建築士」。
おやっと関心をそそられ、その並びには芥川龍之介「矢来の花」他の初版本。
改めて周囲に目を配ると、ビアズリーをはじめとする19世紀末、20世紀初頭の挿絵本など貴重な古書がズラーーーーっと。
一見の客だった僕の目は、馴染めない雰囲気に気圧され、それまで何も捉えていなかったのです。
つい、「これって販売しているのでしょうか」と尋ねると、「うちは古本屋ではないので基本的には販売していません。中にはお譲り出来るものもありますけど、手に取ってお読みいただくことを目的にしています」と、はにかんだようにスマートなイケメンさんが答えてくれました(このイケメンがオーナーさん)。
線の細い外見、話し方も丁寧だけれど、かなり強いなこの人は・・・が初見の僕の人物評。それがあたっているかは、どうぞご自身で。
閲覧可能な稀観本にばかり目を奪われると、このお店の本質を見逃してしまいます。
勿論、古書を楽しむ時間は十分に魅力的です。
しかし、ここの核はコミュニケーションなのです。
ちょうど学生時代に時間を費やして入り浸った喫茶店のような場所。
自分のお気に入りを相手の迷惑も顧みずに力説し、相手の自分の趣味に合わないお気に入りをコキおろし、友人を諭し、友人から諭された、仲間たちが定位置をもっていた頃の懐かしき溜り場。
それとここはね、おしゃべり以外に随時、企画を通じて貴重な体験を提案してくれるのです。
小さな個展、作家を招聘してのトークショー、企画展に関わる演奏会など。
先月は、小説家の山口椿さんのトークショーとライブペイントが2日間に亘って開催されました。僕は初日に参加したのですけど氏の若き頃の話や永井荷風の話、藤田嗣二との交流など非常に興味ある話が聞けました。
オーナーさんは「まだ未定」とおっしゃっていましたが、秋ごろに再び山口さんのパフォーマンスが拝見できるかもしれません。山口さんから届いた暑中見舞いにはそのような決意表明が書かれておりましたので。
" LE PETIT PARISIEN " には作家、芸術家、その普及に関わる人、一家言を携えた普通の人々が集まってきます。サロンと呼んでも良いかもしれません。
学生時代のあの時間を彷彿させると共に、「今、この時間」を過ごしている実感を得られる貴重な身の置き場所なのです。
ですから、ここを訪ねられた方は何でもいいから話しかけてみてください。
材料はお店の中に揃っています。それを手に取ることを怖がらないでください。遠慮不要、礼節は適宜。
僕などは多端寡要の無教養な話しかできませんが、そんな与太話にもお付き合いくださる懐の広いオーナーさんがいます。
ただそれでも話しかけ難いという人のために話題のヒントを差し上げましょう。
このお店には文学、推理、カルトと言ったジャンルを問わない書籍が並べられているのですが太宰が一冊もない。あのエピソードに事欠かない絶大な人気を誇る大衆作家の本が少ない。それが少し不思議だったのです。先日ね、意識的にではなくて自然に話題が太宰治に向かいまして、漸く理由の端が掴めました。
ですから、オーナーさんに「太宰治がありませんね?」と訊いてみてください。そこからきっと気の置けない時間が始まります。畏まった文藝論などとは違った本来のユーモアの広がりを最初は少し緊張気味に、慣れて来たらゆったりと胸襟を開いて楽しんでみてください。
人見知りをする方は、一冊の本を読み終わるまで過ごしてみては如何?咎める人はいませんので。
珈琲や紅茶を飲まなくても、お酒が苦手でも、カフェとかバーとか業態に関係なく、ここ " LE PETIT PARISIEN "は「人」を受け入れてくれる場所です。
でも、できるなら、珈琲の一杯くらいは頼んでください。無理はしなくていいですけど。
場所を維持するのって大変なんですよ。
(後半につづく)