息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です。

息子の記録を残すためにブログをはじめました。

今は、前向きに楽しく暮らしています。

 

 

息子は、中学2年生までは成績も

まあまあ良い方で嫌がることもなく

普通に学校に行っていました。

 

中学3年生なり、毎月模擬テストが

はじまりました。

高校を決めるための大切なテストです。

 

その頃から、成績が良かったり悪かったり

が始まりました。

 

良いときは5教科で、3枚は100点で

490点などと驚く点数で、県内で12番などを

とってきました。

数学が特に得意のようでした。

 

下がったときは5教科でも300点台です。

これが交互のようになっていました。

 

このころ、何かがおかしいと思い始めました。

息子に聞くと、時々簡単な計算ができなくなったり

文字が読めなくなると言っていました。

 

どういう事かもわからなく、

とりあえずは、どちらに合わせて高校を決めるか

息子と話し合いました。

先生もどうしていいのかわからないようです。

 

息子がどうしても行きたいという、

良い成績に合わせて受験をしました。

 

体長の良いときのようで合格しました。

でも、最初は、楽しそうでしたが、

この高校は合わないようでした。

 

朝7時前出て電車に乗らないといけないこと、

勉強の進みが早くて2年の2学期までに

3年分終わらせて、その後は赤本での

受験勉強になります。

 

宿題も多く、海外の絵本が配られて

明日までに訳して英語で感想を書くなど

私はこんな学校があることにビックリしました。

私には難しく、勉強を見てあげることはできません。

 

そのうちに息子の様子がおかしくなってきました。

息子はどちらかというと、のんびりした性格

です。

 

このスピードには合わなかったのかも

知れません。

もしかして、中学にの頃から少しづつ

はじまっていたのかも知れません。

 

どんどん目つきが変わり、起きてこなくなりました。

1年生の6月から不登校になりました。

 

もう全然文字が読めないと言い、

自分がおかしくなったと言っていました。

 

でも、大学は行きたいから学校に

行かないといけないと言います。

でも体が動かなくて一日中寝ています。

 

心療内科に行くとうつ病と判断されました。

その頃は、発達障害は知られていなかったので

すが、今思うと発達障害の2次障害だったと思います。

 

成績が良すぎたたこともおかしいと思いました。

何かがおかしいと私はこのころから感じていました。

 

結局は退学して、高校認定試験をうけて

大学に行きました。

 

このころは苦しいことに、気づいて

あげれませんでした。

 

発達障害の表情とは人それぞれ違いますし

判断も難しいと感じています。

 

最近の息子は話してくれるようになり、

楽しいことを見つけるとラインをくれます。

 

息子に共感することが大事と思いますが、

夫は少し違います。

それは、小学生のやることだと言います。

 

30代はお母さんに話したりはしないと言いますが

今は、誰かか聞いてあげて、共感して

認めてあげなければと思います。

 

他にはいないので、私がしています。

誰か、友達などできたら私には話さなくなると

思っています。

それはそれでいいと思っています。

 

ただ息子は、なくしてしまった時間を

取り戻していると思っています。

 

すこしづつは年齢に近づいて

いると思います。

 

最近はお笑いを見て大笑いしています。

それでいいと思います。

 

人間らしさが出てきている、笑う事のなかった

息子が大笑いしている。

それを見ることが嬉しいだけなんです。

 

もう少し時間が必要です。

急ぐ必要もないです。

 

人は何歳からでも始めることができると

信じていますから。

 

 

つづく・・・

 

 

読んで下さりありがとうございますニコニコ