こんにちは

息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です悲しい

息子の記録を残すためにブログをはじめました。

今は前向きに楽しく暮らしていますニコニコ

 

息子は、不登校を乗り越え、大学にはい

り東京での一人暮らしをしていました。

 

どうしても、東京に行きたいといい、

東京にある大学に入りました。

 

それも一番、賑やかな渋谷区にある大学で、

住んでいるところもにぎやかな

池袋近くに住んでいました。

 

ちょっと前まで不登校で大変だったのに

こんなに人混みみいて大丈夫なのか心配はありました。

 

でも、一人暮らしを楽しんでいるようでした。

息子は、自由になりたかったのかもしれません。

自分のことを知らないところへ行きたかった

のかもしれません。

 

大学にも嫌な先生はいたようですが、それ以外は

美術部に入り、他の大学との交流もしていて、

合同で展覧会を開いたり、

ほかの大学の漫研にも、行っていました。

 

合宿にも行ったり、普通の大学生と同じように

楽しんでいました。

 

不登校の経験があるとはだれも思わない

ような感じでした。

 

言葉は苦手ですが、何とかうまくやっていたようです。

長い休みに家に帰ってきても、大学が始まる

頃には何事もなく戻っていきました。

東京に戻りたいようでした。

 

就職が決まらなくても、東京で暮らしたいと

言っていました。

 

でも現実はそうはいきません、働かないと

暮らせないのです。

 

どうにもならなくなり、家に戻りました。

最初の頃は、仕事やバイトを探していましたが

全滅になり、また家に引きこもる

生活が始まりました。

 

体調は不登校のころよりは、良さそうでした。

10年もの間、働かない怠け者のように

思われていた息子は大変だったと思います。

 

言葉の問題で就職ができなかったとは

親も息子も気づきもしませんでした。

確かに精神科医ともスムーズに話せないのに

面接官と話せるはずはありません。

 

どんな10年だったのだろうと思います。

誰にも理解されず、よく乗り越えました。

 

どうにもならないことは、これからもあります。

でも、少しは強くなったかなと思います。

 

今後は、地域センターの方が、

面接はついて行ってくれると言っていました。

話が苦手なことを、理解してもらうように

ついて行ってくれるようです。

 

でもまだその段階にもいっていません。

今は外の世界に慣れ、人に慣れなければいけません。

 

事業所に行き、もうすぐ1年になります。

10年の引きこもりは、1年くらいで直すには

まだまだ無理なようです。

 

長い目で見てあげるしかないです。

息子の好きで得意なものを、習わせてあげたいとも

思いますが、地方にはそういう学校もないし

お金もかかりそうですし、何か良いものは

ないかな。

 

独学でゲームを作るのを勉強しているようですが

こういうにはたくさんやっている人がいます。

収入を得るには難しそうです。

 

いつか、息子のオンリーワンが

見つかるといいなと思います。

 

 

つづく・・・

 

 

読んで下さりありがとうございますニコニコ