こんにちは

息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です悲しい

息子の記録を残すためにブログをはじめました。

今は前向きに楽しく暮らしていますニコニコ

 

息子は、高校1年生で不登校になっても1度も

学校に行きたくないといったことはありませんでした。

 

行きたいけど行けないと言っていました。

どうしたらいいと、普通の風邪みたいなのと

違うと言っていました。

 

無理をしすぎて、二次障害の鬱になっていた

ようです。

 

体調が悪くても、行きたいと言っていましたし、

調子のよいときは1時間でも、行っていました。

 

これは、発達障害の真面目さから

きていたのかもしれません。

 

行くのが当たり前のように考える子でした。

娘のほうが大変でした。

毎日、口癖のように学校行きたくないと

言っていました。

 

夏休みなど長い休みのあとは大変でした。

学校が始まるのが近づいてくると

イライラしだします。

 

まあ、機嫌が悪く宿題も間に合いません。

誰が学校なんて作ったのと言っていました。

なくなればいいのにと。

 

息子は、夏休み始まってすぐ、宿題を

全部終わらせる子でした。

 

全然、違う性格です。

娘は、学校行きたくないと言いながら

休むことがありませんでした。

 

家では行きたくないと騒いでいながら

学校に行くと、にこにこしていて

みんなと仲良くしていましたが

家に帰ると、爆発していました。

 

感情を出せていたのが

よかったのかもしれませんし、

毎日の、出来事を毎日話してくれました。

話してすっきりしていました。

話してくれるので娘の、友達関係も

全部把握していました。

 

どうして行きたくないのか

聞いてみると、勉強が好きではない

のと、休むと友達との会話に

ついていけなくなるし、いないところで

話されるのも嫌だということでした。

 

不登校と言われるのも嫌だと。

それだけのために、頑張っていって

いたらしいです。

 

女の子は友達関係が崩れない、努力も

必要なんですね。

長く休むことで友達も離れていくようでした。

 

反対に、息子は学校に行きたいし、

勉強もしたいと言っていました。

でも体の具合が悪くて、どうにもならないと

言っていました。

 

病院に行っても治らないし、どうして

僕だけこうなるのと言っていました。

 

でも、県内の大きい病院2件も行って

わからなかったのだから、しょうがないです。

 

この状況を受け入れるのに、親も息子も

時間がかかりました。

 

今はあの時、大変だったねと、話すことができます。

息子も、精神科で早く分かれば良かったといいます。

 

でもそのことがあったので、自分で我慢することも

やめたし、無理はしないようにしているといいます。

自分を知ることができているようです。

 

娘もずーっとみてきたせいなのか、

いつでも冷静な子ですし精神が強いです。

強くなるしかなかったのかもしれません。

 

東京まで一人でコンサート行ったり、

アニメにはまり遠くまで、一人で行ったりします。

一人行動のほうが楽といいます。

 

結婚はと聞くとお兄ちゃんの

発達障害を理解してくれる人がいたら

するよと。

 

今でも、お兄ちゃんにかまいすぎと言われます。

自立しようとしているんだから、

口ださないほうがいいよと言われます。

 

今は先のことは考えず、それぞれが

自分のことを大事に暮らしてくれるだけで

満足しています。

 

 

つづく・・・

 

読んで下さりありがとうございますニコニコ