こんにちは
息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です
息子の記録を残すためにブログをはじめました。
今は前向きに楽しく暮らしています
息子が不登校になったころ20年前は、フリースクールは
うちの地域にはありませんでした。
今思うと小学校、中学校と行っていましたが、
集団に入っているのは、息子も大変だったろうと思います。
よく頑張ったと思います。
フリースクールがあって自由だったら、
生きやすかったのかもしれないし、引きこもりも
なかったかもしれません。
好きなことを伸ばしてやれたのかもしれません。
その頃は、学校に行かないなんてありえない時代でした。
精神科に行くのもためらいました。
高校をやめることも、息子は受け入れませんでした。
担任の先生の話によると、出席日数は足りていました
息子は午後からでも頑張っていっていました。
でも英語を一つ落としてしまいました。
進学校でなければ追試がありますが、
追試をして進級させることはできませんと
言われました。
学年の先生と、校長先生との会議で退学となりました。
校長先生一人が反対したと聞きました。
息子はずっと泣いていました。
これからどうすればいいの、大学行けなくなると
言っていました。
担任の先生は優しい人でした。
息子に話してくれました。
今、他の学校に転入しても、もう一度
2年生になるので、退学して、高校卒業認定取る方がいいと、
最終の大学が良ければ、就職できると
言ってくださいました。
その後の頑張りで、大学は卒業しましたが、
今は、好きなPC関係の大学や、何か自由な
ことをするのも良かったかなと思います。
好きな得意なことを突き詰めて、
自宅でできることを見つけることもできたはずです。
真面目な子なので、いいところに就職したいと言っていました。
それで、法学部を選びました。
その選択が、間違っていました。
言葉が出ないのに、進むことは無理でした。
なんでも一生懸命で、人ともめるようなこともしませんし、
人に意見も言いません。
気が付かないうちに、疲れてしまうようです。
1週間に2回ほど行って、家でできる仕事が
あると良いなと思います。
障害者枠でも結構、きついよと聞いています。
地域センターの方も仕事にすぐ行かなくなる人が
多いと言います。
息子に合う仕事あるのかな、やっぱり、
得意なことを生かせる仕事でないと続かないですね。
時間がかかりそうです。
息子の今を見て、楽しみながら
励ましながら、僕はできると思えるように
自信をつけていけたらいいと思います。
つづく・・・
読んで下さりありがとうございます