こんにちは
息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です
息子の記録を残すためにブログをはじめました。
今は前向きに楽しく暮らしています
この10年は長いようで、あっという間でした。
その間、働かないとと何度も言いましたが
息子はわかっていると言います。
分かっていてもどうにもならなかったのだと
今ではわかります。
息子が、時々朝から出かけることがありました。
後から聞くと、就職の面接に行っていたようです。
でも、年齢もいって言葉が苦手なので不採用に
なりました。
それで、資格を取ると就職できるかもと思ったようで
勉強をしていました。
でも、なかなか思うようにはならないようでした。
その間、何度も精神科を進めましたが、
僕は、精神病ではない決めつけないでと言い
拒否されました。
息子の精神科のイメージが、悪かったんです。
そして、時間だけが過ぎてしまいました。
その間、家族は息子のことに触れることは
あまりありませんでした。
話し合いをしても、嫌な気持ちになりますし、
あまり触れないようにして、
なるべく外に連れ出すようにしました。
父は、このまま終わる子ではないと何度も言っていました。
その間、一緒に旅行も行きました。
北海道、広島、出雲、伊勢神宮、東京、鎌倉など
色々行きました。
神頼みではないのですが、好きなので、
神社には何度も行きました。
滝行にも行きました。
どれも、必ず息子に聞いていくと
言ったところに行きました。
息子は祖母と娘と海外旅行もしています。
母はあえて行きませんでした。
行く気持ちになれなかったのと、息子が母と離れる
時間が必要と思ったからです。
お土産にバックやチョコレートを買ってきてくれて、
楽しかったようです。
10年間、いろいろ考えました。
母は常に話しかけていました。
暑いねとか雨降っているねとか
言葉は返ってこない時もありますが
日常的に話しかけました。
離れているほうがうまくいくのかと思ったことも
あります。
でも、一人でもかかわった方がいいのかとも
思い声掛けをしました。
何がいいのか正解がない毎日でした。
別の目線で見てくれる、娘には助けられました。
母の言うことは耳に入らなくても、むすめの言うことは
聞いているようでした。
いつまで続くのかと毎日思いましたが、
発達障害と分かり納得しました。
今は発達障害を理解しつつ、
障害者の親になった、現実を受け入れています。
娘も兄妹としての自分を考えているようです。
何ができるのか、今は何をしたらいいのか、
まだまだ、わからないこともありますが、
いろいろ相談しながら、前には進んでいます。
就労支援事業所もよくしてくれて
息子がパソコンで必要なソフト
も購入してくれ、息子のパソコン部屋も
用意してくれています。
好きなパソコンができるので
休まず行ってはいますが、
週2回からなかなか増えません。
もう1日増やす話もありますが、
息子次第です。
つづく・・・
読んでくださりありがとうございます
