こんにちは

息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です悲しい

息子の記録を残すためにブログをはじめました。

今は前向きに楽しく暮らしていますニコニコ

 

息子は東京の大学に行きましたので

一人暮らしが始まりました。

 

夢を持ちワクワクしながら行った東京ですが

現実は厳しかったようです。

 

大学1年の時は、フランス語の先生に

言葉が出ないのでさぼっていると思い

ここから出ていけ、もう授業に来るなと

いわれて、鬱ぽっくなり引きこもりになり

留年しました。

 

自分で大学のカウンセリングに行ったようですが

話せないのでなんの進歩もありませんでした。

 

2年生はフランス語は避けて、

何とかやっていたようです。

でも、母との約束のバイトは全部ダメで

仕送りが続くことになりました。

 

3年生の頃、東京に帰る新幹線の中で、

東北大震災に会い、福島トンネルの中で、

1日中新幹線の中で過ごし、その後、

歩いて外に出て用意されたバスで

8時間かけて帰りました。

 

亡くなって倒れている人など見たらしく

またまた、鬱ぽっくなりました。

 

このころ、就活もしていましたが

全滅でした。

書類選考は通るのに、面接で落ちました。

息子はもっと頑張らないとと言っていました。

 

4年生の時ある日突然膝が痛くなり

歩けなくなりました。

 

足を引きずりながら、病院へ

何でもないと言われましたが治らず

大学病院へ、検査をしましたが

原因分かりませんでした。

 

母は、家に帰ってきてといい、

一人で帰れると言うので

迎えには行きませんでした。

 

地元の病院では、膝専門の先生に

見てもらい検査をして、膝の後ろに腫瘍が

あると言われました。

 

膝に水も溜まっていてかなり痛いようでした。

なぜ、東京の整形外科で

わからなかったのか不思議です。

 

その日から、松葉つえの生活で、

その後、手術をしました。

腫瘍が30個もあったと、先生もびっくりしていました。

全部、陽性でした。

 

なんと、次の日には歩けるようになりました。

5日後には退院しましたが、感染症にかかり

またまた、今度は内科に入院しました。

 

その間、病院のご飯がおいしくないといい、

なぜか、マクドナルドや、ケンタッキーなどの

ようなものを欲しがり、差し入れしていました。

 

感染症だったので、個室のような、もの置き場のような

所に入れられたので、自由なのは良かったです。

 

1か月くらいして、大学に戻りました。

卒業は決まっていましたが、就職先は

決まっていませんが卒業になりました。

 

その後も大学に行き就活をしていましたが、

また1年たったので、家に戻るようにしました。

 

その後も、就活していましたが、全滅でした。

息子も家族も発達障害とは

思っていませんでしたので途方にくれました。

では、バイトだけでもと言いましたが、

バイトも全滅です。

 

話せないことは、世間には通用しない

ことがわかりました。

 

出かけることができる、

引きこもり生活が始まりました。

それが10年も続くことになるとは

だれも想像しませんでした。

 

それから、35歳まで家にいました。

その間、基本情報技術者試験を取りました。

国家試験のようです。

今後、使うことがあるのかな。

 

息子は、何か資格があれば就職できると思って

いろいろ勉強していたようです。

 

今は、普通に就職は無理ですから、

障害者わくで入ることを目標に

生活を戻すために就労支援事業所に

行っています。

 

週1から始め、今は週2ですが少しずつは

前に進んでいるように見えます。

これもいろんな人の助けがあってのことで

すごく感謝しています。

 

 

つづく・・・

 

読んで下さりありがとうございましたニコニコ