今日は、カメラロールの整理をしていました。
そうすると、でてきたのは何年か前の私。
そして、一緒にいるのは当時お付き合いしていた彼。
ケーキを食べたり、猫を愛でたり、楽しかった。
けど、一緒に思い出すのが、
「なんか、頑張ってたなあ」
という感覚。
ケーキだって、美味しいし、
にゃんこも可愛い
なのに、どこかにそれを
"頑張って"楽しもうとしていた自分の感覚がありました。
「笑っていたいな」
「楽しい時間を過ごしたいから笑ってたいな」
「こんなことしたら、彼は喜んでくれるかな」
相手を喜ばせたいことは、何も悪いことじゃない
ただ、
私のその気持ちの裏には、
"恐れ"がいたんですよね。
私が笑わないことで、相手が不機嫌になったらどうしよう。
楽しい時間を作らないと、関係が悪化するんじゃないか。
会わないと、相手が寂しがる?不安になる?
こんな恐れや恐怖が根本にあったんだよね。
それを解決したくて、楽しそうにしたり、楽しいことを詰め込んだりしていた。
けど、恐れが根底にあると、楽しみを心から味わえないんだよね。
だって怖いんだもん。
不安なんだもん。
何か気が気じゃないことがあったら楽しめないじゃない。
夏休みの宿題終わってないのに、明日学校って時、ディズニー楽しめないじゃない。
だから、楽しい時間はたくさんあっても、心から楽しめてない時間も多かったなあと。思い返すと思うのです。
最初からではありません。
最初は、いるだけでとても嬉しかった。笑顔見るだけで幸せだった。
いつからか、期待をしたり、相手の期待を受けたり、自分の不安が生まれたり、ぶつけたり、
個人と個人の関係から、
2人でひとつになりすぎてしまったというのか、
相手がいないと成立しない自分になってしまったんでしょうか。
そうすると、依存してしまうんです。
認めて欲しいし、必要とされたいし
そんな不安な気持ちが、頑張る恋愛を生んでしまうのかもしれません。
だからこそ、なにが必要って、
どんな自分でも大丈夫と、自分を自分が受け入れることだなと思います
頑張らないと愛されない
ではなく、
どんな私でも愛されるし、愛していると
自分が思えること。
そういう、安定した基盤があるから、
相手を落ち着いてみられるし、期待もしないし、相手からの承認も過度に必要としない。
自分がほしいものを、相手からもらおうとしない
自分が埋めて欲しい気持ちを、相手に埋めてもらおうとしない
じゃあ、誰がくれるの?我慢するの?
いいえ、私自身が、私を認めて、愛して、受け入れるの。
そうやって、自分と仲良くなることで、安定した恋愛ができるのかなと思います。
私はそういう自分になりたいし、
そういう恋愛をしたい。
ありのままの自分で、
落ち着いて、恋愛を楽しみたい。
好きな人がいるって、とっても尊いことだから。
素敵だよね。誰かを好きになるって。
今、好きな人がいる人へ
そんな素敵な出来事が起きていることを
楽しんでね💝
おわり