昨年は親が亡くなりまして、もう必死で段取りを茫然と進めながら、夕方の訪問看護師さんからの電話で、同僚が急いで自宅まで送ってくださる。管理職も、早く帰宅しなさいと言って下さりました。
今、思うと、思いやりのある職場で働いてたなー、介護で緊急事態では、休暇を気持ちよく取らせてくださってたな〜
と、
介護中と言っても覚悟はしていたものの、母は、しっかり受けごたえは出来ていた。
だんだん、夏から食欲が落ち、亡くなる1ヶ月前にケアマネが、即段取りしてくださり、認定員が来られた日は、まだ、自分でトイレも行け、自分で台所の椅子に座って
認定員の方とも、しっかり対応していた。
緩和ケアで、はじめは通院していたが、命に関わる暑さの夏、時々、発熱。それも高い熱。
その度に、24時間体制の緩和ケア。訪問看護師さんに電話をして指示を受けたり、しっかり受け答えしていた。私もきていただいてほっとしたり、、、。

先日、朝ドラのスカーレットのきみちゃんのお父ちゃんを見ていたら、思い出してしまった
同じだ〜。きみちゃんは秋にお父ちゃんが亡くなり、翌年に初めて泣けたシーン。
同じだ〜。
本当に、悲しい時は涙が出ない。
父の時も、そうだった。
でも今思うと、まだまだ、母や祖母がいたから悲しいけど 支えがあったから、大丈夫だった。
今日も昔の職場の先輩と話してましたが、本当に悲しい時は泣けないものだね、
どうしよう、段取り

!
毅然と物事を、力が抜けながらも進める。
忌引き中に、手続きで役所に行ったり、初七日を迎えたり。
(毅然❗️)
やるしかない❗️でも、身体はガクガク力は抜けて抜けて。
「疲れたー」
やら
「もう、できないよー」と時々言ったり、頭がパンク状態。ごめんなさい



でも、「どんな状態になっても生きててよ
」と母に伝えると、涙ながらにうなづいていた母。
食事も摂れず朝早く起き、仕事の前に少し栄養ドリンク、処方されているお薬を服用させてから訪問看護師さん、訪問理学療法士さんにノートに書いて連絡。
様子や、バイタルを記入し合うだけでもほっとしていました。
緩和ケアと本人、家族、大学病院、ソーシャルワーカーと話し合い、緩和ケア専門病院を決めた春。
抗癌剤を少し軽くしようかと二転三転しながら、緩和ケアに決めた。抗癌剤はワンクールも服用せず、だんだん食欲も出てきて、鼻血も止まり、湿疹もなくなり、マシになってきた。
良かった
と束の間だが安堵したなー。
週末は大抵、母と買い物。
喧嘩もするし、楽しく買い物。
カートを押しながら、ショッピングセンターを歩く姿が忘れられないよねー。
でも、職場の方々がいい環境で、今思うと気持ちよくおくってあげれました。
忌引き後は、職場の方々が気持ちよく支えてくださりました。
でも、まだ、自宅に帰ると仏壇の前で49日までお骨を見ながら話しかけたり、シクシク
。
なんでも、母にはペラペラ喋ってたから、
さみしいな。もう、いないんだなって。
そして、また、職場で元気をいただく。
しかし、しか〜し、4月に異動になり、慣れないわからない仕事で、私はかたまってしまったのだ。









新しいルールを頑張ってメモするも、記憶が飛ぶ〜。
付箋だらけのノート。
相手を怒らせるし、間が悪いし、
カウンセリングにいくと、教えてくださいの自分の姿勢が下から下からであったこと
に気づかせていただく(当時は無意識に、教えてもらうのだから、当たり前だと思っていた…仕事の同僚なんだから、引き継ぎやらは仕事。だから、下から下からは必要ないことだった。)



これって逆に相手を(その人にもよりますが)イラッとさせていたこと、相手は自分の鏡。
って教えていただく。
めまい、吐き気で、また、左顔が痛いため、脳神経外科へ行くも、神経内科や心療内科にいってごらん、MRIでは、隠れ脳梗塞の気はあるが、血液サラサラの薬をのむほどでないし、年一回調べましょう。と脳🧠的には大丈夫。
で、神経内科に行くと、左右の顔の大きさの違いに主治医は驚き、即ドクターストップ❗️電車に乗れない。吐き気。
誰にも仕事の辛さを言えず、ただ、じっとじっと自分で解決しなきゃ!
やら、
仕事だから
やら、
辛くてもわからんことは、忘れても先輩に尋ねた。
前にも言いませんでしたか?🤨の返されても、
聞いたかもしれませんが、メモもないため、教えてくださいとお願いしたり。
やら、
自分では無意識でしたが、下から下から
やったよね。
これを気づかせてくださったカウンセラーさん。
あるカウンセリングでは
鏡を見て、「かわいいね、がんばったね。
私、いい顔」なんて言えなかった。😣無理だよー😭
で、
あるカウンセラーさんに言わせると、それは、時期が早いよ。無理してはだめだよ。
不安は抱えたままでいい。
って。
もう、その時はすがる思いで5月に行ったカウンセラーさんが ワークして教えてくれました。
病院に行きながらも、すがる思いで自分に合ったカウンセラーさんを探し回った。
その方が心屋仁さんの ある歌を送って下さり、
聴いているうちに
あれ〜、あれれ〜、なんか泣ける〜😭泣く〜😭号泣!
何故?何故?
その通り!
そして、仁さんのブログを見たら、カウンセリングに、この腰の重い私が、大阪に来られる(何にも知らずに速攻に申し込む)参加。
はじめはドキドキしてましたが、1日を通してワークをしながら、ビックリ‼️
なんだ?これでいいの?すごーい!
でも、楽しい〜
❣️
それから、少しずつ、大丈夫、大丈夫、大丈夫と言い続けながら過ごした日々。
孤独でないんだー、友だちや新卒で働いた職場の同僚が四国からたまたま、こちらにきて会えたり、送迎されてたのが先輩で今や先輩夫婦と今日も会えたよー。




また、日々、忙しく働いてる違う同僚とも、こないだ会えたよー
やら、
ブログの中の人と(安心は吟味ね)会いたい!と思った方にも会えたよー😀😀😀
で、
仁さん、認定講師さんの本を読んだり、ブログを読んだり、
少しずつだけど、
頑張り教だったのよー。
仕事を休暇し、頑張らない自分、弱虫自分、倒れた自分に罪悪感だった。
そうなんです。頑張り教だったのよー。
そんなこと、1ミクロたりとも思わなかった。
今までの正しいって経験が、間違っていたこともあるんだよー


衝撃だったけど、自分で不安を雪だるまのように、大きくしてたのよー。
など、若い自分を知っている同期や先輩。
常日頃から、仕事ぶりを見てくださった3月までの職場の同僚、高校の友人、
が、偶然、支えとなってくださってたりしてる〜。
ありがとう❣️
ございました。
ゲ◯◯の女房の再放送で、
「人生は屁だ。」という主人公の父親役のセリフ。これは、今、なるほど〜



今や大笑い。
うん、人生は 屁だ。
四国の友だちと、天才バカボンのパパって本当に天才だね。
別に どうでも良いことは、
これでいいのだ。弱い私でいいのだ。頑張り教の私でもAIでない私でもいいのだ。
レレレのおじさんは、いつもほうきを持って掃除してくれてるし…
そんな話になった
今年は 辛い苦しい年でしたが、
たくさんの方に色々教えていただいた。
感謝、感謝です。
ありがとうございました。
2020年もよろしくお願いします🎀🎀
電車に乗れてきたため、筋肉低下を戻し、ありのままの自分、リハビリ兼ねて会いたい人に会いに行き、勉強して悔いなく
三歩進んで二歩下がりながらも行こう!


して欲しいヘアセットも 頭ガンガンしてましたが、いざ、ヘアメイク様の所へ行ってみると、治まりました。
それで、お気に入りのセット。
AKBみたいよ(ごめんなさい💦AKB様❣️歳が上すぎるー💦💦💦🙇♀️🙇♀️🙇♀️)
このような場を与えてくださった歌の先生に、感謝。
頭ガンガンしていたため、常に声を掛けてながらセットして下さりましたメイク様にも、感謝です


皆さま、感謝です。
と、長くなりましたが、
辛かったけど、泣かせてくださった認定講師のうさこさん、(1年間泣けず)
元気をくださったみなさんに、2019年、令和元年は感謝の1年でした。感動の1年でした。
今は胃に優しくて、味噌汁に使わせていただいてよー



