哀しいお別れ | まりごんのズボラ日記

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まりごんのズボラで怠惰で時に波乱万丈?な日々

久しぶりのブログ更新です。

今回は、写真なしの長文です。


11日12日とお通夜、告別式に参列しました。

いつも、鵜飼のときに鵜舟に一緒に乗っている船頭さんであり、船会社の社長さんが亡くなりました。

あまりにも突然の死でした。


 昨年から腰の痛みがありながらも、毎日、舟の事務所に来らていたんですが、年末からはずいぶん腰が痛みだしていたようです。

 今年のお正月明けから検査入院されました。

検査入院は長引きました。やっと2月8日に自宅に戻られたということで、一番親しい「鵜飼チェリー」さんがお見舞いに 様子を見に行かれました。

私達も11日にお見舞いに伺う予定をしていました。

でも、10日の夕方、職場で帰り支度をしている時、容態が急変したと連絡があり、あわてて自宅に向かいました。

すでにご家族の方は集まっておられ、奥さんが「名前を呼んであげてください。戻ってきてくれるかもしれないから。」とおっしゃりました。

私達は、手を握りながら何度も名前を呼びました。

横を向きながら、うっすら目を開けておられて、今にも返事してくれそうな、でも、私の冷たい手で手を握っていると逆に体温を奪ってしまいそうで、どうしていいのか頭の中が真っ白になってました。


午後6時25分


安らかなお顔で逝かれました。73歳でした。


こんなにもあっけなく、信じられない思いです。


その日は、ご家族の方も集まっておられたので、早々に帰らせていただきました。

なんだか現実を受け止められなくて、呆然としてました。


 翌日の11日は仕事です。もしかしたらお通夜になるかもと思い、喪服などの準備を整え出勤しました。

出勤して朝一番に、地方紙の洛南タイムスと城南新報を読みました。

訃報の知らせの記事が掲載されており、やはり今日がお通夜となりました。

今まで、現実感が伴わなかったのが、新聞の記事を見ていると、急に涙が出てしまいました。


 私の職場の理事という立場の方でもあったので、午前中は各関係機関への訃報の連絡や、弔電の手配などで気もまぎれ、午後も上司と打ち合わせをしながら数字を見ていると気もまぎれました。


 お通夜には、私と同じ鵜匠のM譲と共に参列しました。

葬儀場でのお通夜で、故人の写真は、舟の船頭のハッピを着たいつもの明るい笑顔の素敵な写真でした。

写真を眺めていると、次々に沢山のことが思い出されます。


鵜飼の時にいつも同じ舟に乗っていたパートナーです。

常に、鵜舟と客船と鵜をみながら、舟を動かし、時に鵜舟から客船の船頭さんたちに指示を出し、客船のお客さんたちに話しかけ笑いを誘い、鵜匠が鵜飼をしやすいように、また客船から鵜舟をみてもらいやすいように、色んなところに気を使い、舟をさす技術はすばらしい方でした。


私は、100%の信頼をもっていつも鵜飼が出来、また、鵜飼の最中に舟の前と後ろに離れていても、次にすることが分かる、鵜舟に乗る3人、私と鵜飼チェリーさんと社長は、「あ うん」の呼吸だったと思います。


お酒の大好きな方でした。

いつも鵜飼が終わった後、事務所に最後まで残って、お酒を飲みながらその日の鵜飼のことや、お客さんの反応、時にこれからの夢のようなことまで沢山の話をしました。


 人にも厳しいけど、自分に対しても凄く厳しい方でした。そんな方だからこそ周囲の人たちもついて行ったと思います。


 でも、自分に厳しすぎたのかもしれません。あまり人に自分の弱さを見せることをされませんでした。

一昨年ころから、風邪をこじらせても、なかなか治らなかったり、あまり体調が良くないのでは?と思えることが何度もありました。でもほとんど休むことなく昼間の遊覧船、夏は夜の鵜飼と宇治川で船頭をされてました。

今年に入って、歩けなくなる前まで舟の事務所に来られていたと思います。

今思えば、病院に行って宇治川に来れなくなるよりは、ギリギリまで川と係わっていようと思われていたのかもしれません。


それを裏付けるように、入院されてからあまりにも早い死でした。

本当に川と共に歩んでこられた方なんだと思います。床に伏す直前まで宇治川に携わっておられた人生は、なかなか出来ることではないと思います。

私にはそんな社長がうらやましくもあり、自分にはそこまでの根性もそなわっていないなと思います。


 お通夜の席で社長の写真を見ていると、沢山の思いでが滝のように溢れ出して、もう、ええ歳して恥ずかしいほどボロボロ泣きました。

 

 一夜明けた12日、告別式です。朝起きて、今日が最後のお別れなんだなあと思いました。

気持ちは、昨日より落ち着いており、ちゃんとお別れをしようと思いました。


 お通夜も告別式も沢山の方がお見えになり、いっぱいの悲しみに包まれていました。

お焼香がすみ、最後のお別れの後、ご家族のご厚意で、私達も火葬場まで行くことができました。

本当に最後のお別れです。1時間15分後、ご家族の方と共にお骨を骨壷に収めさせてもらいました。

 おとといまで生きていた人が、もう灰になるんだなあ。

 きっと今頃、三途の川を自分で舟を漕いで渡っておられるかも・・・・

 わたしの頭の中では、いつも宇治川で舟を漕いでいる姿が、三途の川で舟を漕ぐ姿に想像がふくらんで、なんとなく「あ~。逝ってしまわはった。」って気持ちになりました。


 親しい方とのお別れ、今回のお通夜そして告別式と参列しましたが、日本人のこうゆう しきたりは良いもんだなあと思いました。お通夜では、故人をしのび、思い出を語り合い、そして一夜明けて告別式では故人とお別れをする。こういう儀式は、残されたものがこれからも思い出と共に生きていくためのものなんだなあと思いました。

ご家族の方にとっては、色々な忙しさで、思い出や悲しみに浸るのはこれからになるのかもしれません。

もっともっと時間をかけて、日々の生活の中でいろんな気持ちを昇華させていくのでしょうね。


 私達はこれからも沢山の出会いもあるけれど別れもあります。

 やはり別れはすごく辛いし寂しいです。でも教えてくださったことをこれからも大切に、沢山の思い出と共に生きていきたいです。