大好きな母が亡くなって1週間が経ちました。
すごく早かったような、まだ1週間しか経ってないのか・・・と
複雑な胸中です。

9月28日にいつものように外泊で実家に帰っていた母。
その夜は私も泊りに行き、歩きにくくなっていた母をトイレ介助したっけ・・。
トイレに行くたびに「ありがとう」を繰り返す母。
回数が多くて大変だったけど、それも元気な証拠!だから気になりませんでした。

9月30日に病院に戻りました。外泊の時から少し咳き込んでいたので姉は
症状を病院に伝えてくれていました。

10月1日、いつもは木曜の入浴が行事の関係でこの日になりました。
本人はとても気持ち良かったようです。
(寝たまま入れてもらえて、着替えもしてもらえる)

10月2日、いつものように病院に行くと母は寝てばかり。
外泊の後はそんな感じが2~3日続くので私も静かに母と過ごしました。
午後からは姉も来て病棟の行事のお月見会に参加。
母は、色んな物を美味しい美味しいと食べ、ボランティアの方が歌う
「ふるさと」の歌を「この歌好きなんだよね」と言いながら口ずさんだり
していました。
これが元気にしている母の最後の姿でした。

10月3日、仕事が夕方からなので家で家事をしていたら
姉から電話があり母の容体が急変したと。
急いで病院に駆けつけました。
父によると、いつもの朝の連絡がないので病院に電話すると
昨夜から発熱したとのこと。父も急いで行くと母は呼びかけにも
応じなくなって看護師さんに言われてすぐに私達を呼んだそうです。
私が着くと母は少し呼びかけにも答えれるようになっていました。
叔母たちや私の娘もきてくれて、母に呼びかけたり身体をさすったり・・
午後には病室を変わる事を伝えられ移動。
同室だった方も母と同じ位に容体が悪かったようですが
我が家が付き添い含め人数も多かったため、個室になりました。
ステロイドの点滴をして少し容体も安定してきたけれど、心配なので
姉と泊まることに。
その夜は姉と交代で母の様子を見ながら過ごしました。
でも母は体位を交換するたびに「よっこらしょ」と言い少し姉と
安心しました。

10月4日。前日よりは調子も良さそうで安心しましたが熱は下がりません。
でも「よっこらしょ」は言っていました。
この日も姉と泊まり。

10月5日。安定してきたので私は仕事へ。
この日は座薬も入れて熱も下がり、点滴効果か痰のゼロゼロも
無くなってきたそうです。そしてハッキリした口調で話もしたそうです。

10月6日。この日も朝から調子が良く姉とも会話が出来たそうです。
今までは問いかけにオウム返しも多かったのですがこの日は
ちゃんと話をしていたそうです。
朝一番に私も病院へ。母に挨拶すると「こんにちは~」と
言ってくれて一安心。
ずっと水を飲んでなかったのでこの日は体調も安定していたから
看護師さんがかき氷を食べさせてくれました。
氷を噛み、ゴクンと美味しそうに飲みこみ姿に私も一緒に
いてくれた叔母たちも安心しました。
この日は髪の毛を洗ってもらいました。
この夜、また発熱。父が泊まりました。

10月7日。夜中に熱が下がり一安心。
姉との電話で「おはよう」と言ったそうです。この日は私が仕事の
前に病院へ。なんだかダルそうな感じ。熱がまた上がってきました。
心残りだったけど仕事へ。
やはり呼吸が辛いのが続き熱のせいか身の置き場が無い感じで
手を動かしたりする状態が続き、そろそろ医療用麻薬(軽い物)
を使う時期が来ていると看護師さんに言われたそうです。
父と姉が了承し使用。そのためか辛い感じはなくなりたまに目を
開けたりするようになったそうです。

10月8日。前夜は眠り続けている感じじゃなく時々目を覚ますので
その時に声掛けしたりしたそうです。
医療用麻薬は量を調節して継続中。
この日は私が泊まる予定だったので仕事の時間をずらしてもらい
早い時間に到着。
母は寝てばかりで、看護師さんが顔そりしてくれたそうです。
姉は「最後にキレイにしてくれてる感じで悲しい」と。
結局、この日も姉と泊まりました。