昨日から始まってる衆議院選挙活動ですが、

引き続き私は参加出来ずにっこり

 

普段から、発達凸凹息子のあれこれ、その他諸事情で思うように自由がきかず、なかなか貢献できない私

 

選挙活動期間くらいは少しでもお役に立ちたい!!と張り切ってたのに

ただでさえ活動員少ないのに

 

私はずっとうちにいるにっこり

 

 

溢れる想いを発散できない、、

 

ので、今日も空中戦だーグー流れ星

 

 

こないだの日曜討論を皮切りに、

さすがにもう報道も参政党を無視できなくなってきてるかな?

 

 

民放の党首討論では引き続き排除されてますが

 

 

 

なるほど

参政党は、3−4分でも国民の心を掴んでしまうほどのパワーを持ってると

 

それはまずいと

そういうことですねー知らんぷり

 

 

 

ただ、まだまだ報道外され、知名度も低く、圧倒的に不利ではあるものの、他の政党と同列の扱いになることも増えてきた

 

 

昨日もテレビにこんな感じで出てるの見た

 

 

 

各党の訴え

 

政治と金の問題を正します、という自民党 バツレッド

政治と金の問題を追求します、という立憲 バツレッド

 

公明は政党自体要らない バツレッド

第2自民の維新も存在価値なし バツレッド

社民は、、要らんよね泣き笑い バツレッド

 

 

要らんの消すと、残るのは

 

国民、れいわ、そして参政党です

 

 

 

国民が衆院選で重視するテーマは、経済

 

 

 

でしょうねちょっと不満!!

 

国民の感覚はまともです

税金どんだけ取んだよほんと引く泣き笑い

 

 

なのに「政治と金」が争点って、ズレすぎよ

 

 

日曜討論でそれを指摘したのは

 

参政党とれいわですね

(国民民主も? 影が薄くて何言ってたか忘れちゃう爆笑

 

 

れいわの山本太郎氏もまともなこと言ってました

 

国民が必要としてるのは経済をよくすること、

減税が必要、消費税に時間かかるなんて嘘、すぐなくせる、と

その通り拍手

 

 

けど、参政党神谷代表のこの発言、思ってた以上に反響が大きいですびっくり

 

 

 

お仲間が言うに、日曜討論出た途端、興味持って「見たよ」「党首男前やね」「がんばって」と声かけてくださる方があちこちで現れてるらしく、テレビの威力を実感します

 

 

ちょっと目が覚めはじめたっぽい方もチラホラ(Xでみかける)

 

 

アンチもまだがんばってるけど、そのフェーズはそろそろ終わりなのかも

いよいよ各政党と同じステージに上がり、ガチンコで戦う時が近づいてるちょっと不満

 

 

 

今政府がゴリ押ししてるこういう政策は、ことごとくグローバル全体主義に基づいたものなので、参政党はぜーんぶ反対ですバツレッド

 

こんなの国民のためにならないこと、先行する海外の事例で証明されてるからです。

本質からズレてるの、利権引っ張りたいだけ

そこに時間や予算を充てるべきではないんです

 

 

 

国民にとってほんとに大切なのはこっちこっちひらめき下矢印

 

 

 

 

ここからは余談です。

長くてすみません滝汗

 

 

選挙戦初日、山本太郎氏緊急入院には驚きましたね驚き

ひとりで頑張ってて、お疲れが溜まってるんでしょうか。

 

れいわって山本太郎氏しかいないんですね。

大石あきこさんもある程度目立ってますが、政治家というよりタレント?パフォーマー?

山本太郎氏もやっぱりタレントですが、こないだの日曜討論みてて、勉強されてることは伝わりました。

 

あと、短い言葉で、とにかくわかりやすく話す技術はやっぱりすごい。

支持者が多いのは、あのわかりやすさ、キレの良さにあるんでしょうね。

 

お身体つらいかもしれないけど、選挙戦何とか乗り切っていただきたいですね筋肉

 

 

 

国民民主は自爆したっぽいですね驚き炎

 

昨日こんな記事をみました。

 

 

 

内容一部抜粋

 

 

そこまで話題になってないかな?

けど私はこれけっこう問題だと思った。

 

国民民主には、比較的好感もってたんです、私

主張がよくわからないんだけど、わりとまともだと思ってた

 

 

けど「尊厳死」が重点政策て滝汗

若い人の社会保障負担軽減して消費を活性化?

その発想、まじで怖いんですけど魂

 

 

「尊厳死」もこの頃ちょいちょい見かけるトピック

 

いろんな意見があるでしょう

例えば、私の友達は、末期癌でどうしようもなくてただ苦しい人は、本人が望むなら、とか言ってた

 

わからなくはないんですよ

でもこれは推進しちゃいけないと個人的には思います

 

こういうこというひとたちって、結局強者です

ほんとにほんとに困った状況で絶望したこと、ないと思う

 

例えば寝たきりになり、子供たちに負担をかけてる、、、悲しいなんて心を痛めている方々がこの議論を聞いたらどう思いますか?

議論自体でもう傷つく可能性がある

 

苦しんでる方に、生死の選択肢なんて与えるべきでしょうか

ただでさえ辛いのに、そんな究極のところで迷わせるなんて

 

何があっても、辛くても、希望を見出して、生かされてるうちは生きようよ、逝くべきときは神様にお任せしよう、それでいいんじゃないかと私は思うんです

 

 

 

 

10/24訂正

すみません、「尊厳死」と「安楽死」をごっちゃにして語ってしまった💦

 

私は安楽死の医師幇助自殺とかいうみたいですが、そういうのをイメージしてました。

間違いです。

 

「尊厳死」、もう耐えられないほどの痛みに悲鳴を上げ、56してくれと叫ぶような地獄のような状況で、本人が望むならば、ということのようです。そして「尊厳死」自体にはかなりの方が賛成しておられるようです。

だったらその法整備自体は議論をすべきなのでしょうが、それを経済合理性と並べて語ってしまったってことだけが問題だったみたいです。

 

私の家族身内にこのような壮絶な状況になった人間はひとりもおらず、間違った前提に基づきよくわからない主張をしてしまいました。申し訳ありません🙇‍♀️

 

 

 

スイスとかカナダで行われてる安楽死

 

 

 

「安楽死」が危険だな、と思ってたんです。

 

記事の最後の方に書いてあるこの一節。

 

それらを通して私が強く感じるのは、『自分で決めたその決定は、本当に自分で決めたのか』という点を、深く考えた方がいいということです。読者のみなさんも、生死ではなくても、さまざまな人生の進路について『自分で決める』大事な決断をしたことがきっとあるでしょう。その決断は、自己決定か、それとも誘導や圧力や命令による強制かの二つに割りきれる単純なものではなかったはずです。とくに、死に至るような病気の人は、生きると自己決定しても、生きられないこともあります。それだけ、人の生き死には不自由なものです。自己決定できればそれでいいとか、自己決定だから自分の責任という考え方ではなくて、もう少し違う視点から状況を見ていくことが重要だと思います。

 

 

そう思いますね。

私が決めたことってほんとに私が決めているのか、曖昧なものです。

 

社会的慣習、常識とされてること、マスコミの洗脳、何らかの圧力、親や先生からの刷り込み、いろんなファクターがものすごく複雑に折り重なって自分の考えはできている。

 

そのベースでの選択は、

自分が決めたこと? 決めさせられたこと?

 

「自分」などは所詮そんな程度のもの。

生死みたいな究極の決断をして良いものなのか。

 

私個人的には、人間が、自分で生まれたわけでもないくせに、自分の命は自分のものだと言わんばかりに、そのレベルのこと決めるなんてのは、神様に逆らうような畏れを感じるんですよね。

(私は宗教は信仰してなくて、自然こそが真理=神みたいな感覚です)

 

「尊厳死」のレベルまでいくと、それは神様がいじわる過ぎる気もするし、その苦しみはそのときにならないとわからないから、選択肢として法整備しておくことはしても良いのかなあ、、、

 

なかなか難しい問題ですね。