母が亡くなった。83歳だった。
15日の深夜に危篤の連絡。翌日始発で新潟へ向かう。
病院に到着、まだ意識あり。会話も多少可能だった。
翌日、翌々日と低空飛行ながらも状態は安定しているとの説明。
会話はできなくなったが、呼び掛けには、「はい」と返事をしたり頷いたりできる。
18日金曜日、仕事等調整のため一旦帰ることにした。
20日午前12時頃、容態が急変したとの電話。
その後訃報の電話。
2022.3.20. 12:36 母永眠。
遺品を整理していると、たくさんの日記があちらこちらから出てきた。
読んでいると当時のことが蘇ってくる。
ああ、母はあの時こんな風に思ってたんだ、こんな事を感じてたんだ。その頃の母の感情が痛いほど伝わってくる。
母は苦労の人生だった。ろくに仕事をしない父と兄を一人で働いて養っていた。私が結婚してからの話。結婚前、父と兄がそんなにもクズ人間だとは露知らず、母を置いて関東へ嫁いでしまった。その当時は結婚して家庭を持ち、自立することが親孝行だと思っていたから、特に迷いはなかった。今は後悔している。
母はコミュニケーション能力の高い人で、友達が沢山いた。旅行に出かけたり、カラオケに行ったりと、楽しい時間を過ごしていた。
兄弟も8人いてとても仲良し。友達や兄弟にかなり救われていたようだ。
いつも笑顔で私は母の事をひまわりみたいな人と思っていた。
母が居るだけで周りが明るくなったし、弱音を吐かない人だった。
そんな母に、父も兄も私も甘えていたのかもしれない。
日記には辛い、悔しい、の言葉が沢山書かれていた。
日記を読んでいると、私も辛く苦しく、後悔で頭がおかしくなりそうだった。
でも、数日間読み進めていると、不思議と気力が湧いてきた。
母の苦労を思えば、この先なんだって乗り越えられる、と。
最後の母の教えかもしれない。
母との最後の会話。
「お母さん、大好き。大好きな私のお母さん。」
「そうか、嬉しい。死んでなんかいられないね。」
お母さん、ありがとう。
3月26日は兄の、28日は私の誕生日でした。
産んでくれてありがとう。
また逢う日まで。
