久しぶりにプールに行ったらありえないくらい筋肉痛の管理人です。

 

 本日の本は遠藤周作『イエスの生涯』です。

カトリック信者である遠藤周作が、資料と自身の想像を元に書き上げた、遠藤周作のイエス像が書かれている本であります。

 

 キリスト教徒といっても、信仰の姿は様々です。私も友人に何人かクリスチャンがいるのですが、ある人は精霊や天使、オカルティックなものに惹かれ、ある人はマリア様を敬愛し、ある人は儀式的なものにこだわり……という感じです。

 しかしその根底にあるのは、イエスという人が我々の為に十字架につけられて死んで、復活したのだ、という教義です。

 

 本書はイエスが旅をしながら教えを説いてまわったとき、ユダヤの群衆や議会、ローマの政治情勢がどんなものであったのかという時代背景が分かりやすく書かれています。イエスは旅の先々で奇跡を起こしますが、人々はそれを見て反乱軍・革命者としてのイエスを期待してしまうんですね。

 

 しかしイエスが本当に人々に与えたかったのはユダヤ人としての名誉や、怪我の回復など即物的なものではなくて、彼らが苦しんでいるときにそばに居る、そんな愛だったわけです。それに気づいていながらも、その考えを受け入れられなかったユダという解釈はイエスとユダの奇妙な一致で興味深かったです。

 

 さて、誤解の中、名誉を回復することもなくイエスは最低の死を迎えます。有名な「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」が詩編の最初であるということを、私は本書で初めて知りました。「どうして私を見捨てたのか?」というのはイエスが言いたかったことではなくて、その詩編(後半神への賛美になるそうな)を唱えていたのですね。

 

 イエスの死後、弟子たちは文字通り生まれ変わります。バーサクの状態異常です。本書のキモのひとつは「何が弟子達をそこまでして変えたのか?」ということです。遠藤周作は人の心の弱いところをよく知っています。私たちも恩師や人から貰った厚意から「心を入れ替えてがんばろ♪」と思うことはあれど、人生を変えるところまではいきません。3日もたてば、もとの怠惰で、狡くて、弱い人間になってしまいます。そんな弱い人間達を変えたのが「復活」なのではないか、という考察ですね。

 

 この復活に関する議論は、この本の続きといわれる『キリストの誕生』に書いてあるそうなので、そちらの是非読んでみたいと思います。

 

 奇跡を起こす、スーパースターとしてのイエスではなくて、隣人のために犬よりも惨めに死んだ愛のイエスを感じられた良い本でした。