- 記憶の食卓/角川書店
- ¥1,680
- Amazon.co.jp
こんばんは皆様。三連休如何お過ごしでしたか?
ぼっちひきこもりがデフォルトの管理人ですが、
この三連休はみっちりと予定が詰まっておりました。
土曜日は勉強会、
日曜日は友人の結婚祝いの企画、
本日は関東から遊びに来た友人とのお食事と
久しぶりのリア充気分を味わったのでございます。
スケジュール帳を持っている意味があるというものです。
そのせいで読書の方は速度がめっきり落ちておりますが、
ぼつぼつやっていこうと思いますので
気軽にお付き合いくださいませ。
さて!本日ご紹介するのは牧野修さん『記憶の食卓』です。
これは誰かにおすすめされたわけではなくて、
いつもお世話になっているamazonさんの
「この本を買っている人はこの商品にも興味があります」
制度で興味を持って読んでみた本なんですね。
いつも必要のない漢字の練習帳や、
高圧スチーマーなんかをおすすめされて
ほんっと役に立たねぇなこのオススメ機能…と
思っていただけに良本との出会いは格別に嬉しいです。
牧野さんは大阪出身のSF作家さん、
管理人が最近惚れました田中哲史さんや
小林泰三さんと、よく比べられる作家さんだそうです。
そのSFとモダンホラーを融合した作風から、
特に小林さんとは比較されることが多く、
小林さんの科学→オカルトへ広げる作風に対し、
牧野さんはオカルト→科学で集結させる作風が多いようです。
本日手に取りましたる『記憶の食卓』。
改行が多く、平易な文章、さらに約250ページという
短さのため大変読みやすい作品となっております。
「う~疲れてるけどなんか軽く読みたい」というときに
便利な作家さんだと思います。
以下、ネタバレ感想
このお話は、二つの視点が交互に描かれる
サスペンスタッチのモダンホラーです。
折原という名簿屋(個人情報を人に売る裏稼業)の青年のもとに、
とある名簿が送られてきます。
そこには14人の人物の顔写真と住所が載っており、
驚いたことにその中に自分の情報も書かれていました。
さらに、その名簿に書かれている人物が
次々と謎の死を遂げていることがわかります。
その名簿と事件にはどんな関連があるのか?
同僚の美也とともに捜査に乗り出す折原。
調べていくうちに、その名簿に載っている人物は
何らかの摂食障害を患っていることがわかります。
それは主に拒食症なんですが、折原自身も
チャーハンが何故か食べられないという
おかしな好き嫌いがありました。
もうひとつの視点では、嫌世的な小学生の
遠藤悟一君と、その同級生の田辺さんを中心に話が進みます。
遠藤君の弟がある日突然失踪。
何者かによって殺されたと思った二人は
犯人と思しき男の隠れ家を発見しますが、
捉えられてしまいます。
男の主張は「人は愛していれば、その愛する人を
美味しく食べられるはず」というもので、
自分の身体を誰かに美味しく食べて欲しかったんですね。
そして遠藤君は男の指を食べますが、
吐き出してしまいます。
怒った男は、一緒にいた田辺さんの足の指を切って、
遠藤君に食べさせます。
田辺さんは嫌がるかと思いきや
まさかの恍惚の表情((((;゚Д゚))))
田辺さんは食べて欲しいタイプの
食人嗜好を持っていたんですね。
再び折原さん視点、
折原さんは名簿の中の遠藤秀和という男に襲われます。
なんでも遠藤によると、名簿に載っている14人は
昔エイリアンを食べさせられて、
やつらを媒介しているから根絶やしにせねばならないのだとか。
しかし、遠藤に襲われた折原に蘇ってきたのは
それとはまた違う食人の記憶。
ひとりの女を金に目がくらんで殺し、
同じアパートの14人で食べた。というもの。
どちらの主張が正しいのか?
オチとしては、実は二人の記憶は植えつけられた偽物の記憶で、
「人の肉を食べた」というコア記憶から、
自由に各人が想像した偽りの記憶だったんですね。
そしてこの実験を執り行った部長さんが田辺さん=美也。
「人に食べてもらいたい」という願望を
仕事にしちゃったスーパーウーマンでした。
遠藤秀和=遠藤悟一でした。
両親が名前を変えさせて、逃げるように引っ越した、や
首に大きな切り傷があることからもそれがわかります。
最後に結局折原は遠藤に始末されちゃうんですが、
美也と過ごした確かな記憶を持って死ねた折原は
なぜかしら幸せを感じて終わる…という素敵(?)な話(´;ω;`)
記憶というものの不確かさを
読みやすいホラーで味付けした良作ですた。
それにしても最近読む本読む本カニバリズムがテーマのものが多い。
連城さんの『親愛なるエス君へ』も食べられたい型のカニバーの話だったし…。
本作に聖書の一節が引用されているように、
人の肉を食べてその力を得るという考えは
意外と受け入れやすい考えかたなのかもしれません。
キリスト教では、キリストの身体を食べた者には
永遠の命が与えられるというのが基本ですが、
食べられるキリストもまた永遠であるわけです。
人を食べることによって、また食べられることによって
その人の中で永遠に生きる…。
これってもしかして究極の愛の形の一つかな
と思ってしまう管理人は相当やばい人です。
もちろん相互の同意がなきゃやっちゃダメよ!
(たぶん同意があってもダメよ!)