今日の豪雨&連休 その2(引き揚げ記念館) | サガタ先生の日記

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今朝は目が覚めたときから・・・
家から出たくな~~い!!
と思うほどの豪雨でしたね。
家の横の川は今までに見たことがないくらい水位が上がって
流れも急でした。
今はやんでいるので安心・・・帰るまでは降らないでね!!




さて連休のお話・・・。
舞鶴について、まずは引き揚げ記念館に。



劇団四季の「異国の丘」を見てから興味を持ったシベリア抑留。
少しの時間のずれ、居場所のずれで何年も極寒の地で捕虜として
働かされ、そのまま大地となった方も多かったとか。




そんな中、生きて戻ることが出来た方が最初に足を下ろした場所。
そこが舞鶴でした。
シベリアだけではなく、韓国や中国からの引き揚げもあったようです。





基本的にはシベリア抑留の方々の資料がたくさんありました。
寒かっただろう、お腹をすかせていただろう・・・と色々感じることが
ありました。



日本で身内の帰りを待っている人たちのこのにも触れていました。
岸壁の母で有名な端野いせさんのことにも触れていました。
実際には息子さんは生きておられて中国におられるとか。
今も存命かどうかは?ですが。
いせさんはそれを知っていたのでしょうか?




資料館から出ると引き揚げ桟橋を見ることが出来る丘へと
続く道があります。ラルクと一緒に歩いてみてきました。
(帰ってから近くまでいけることに気づきました・・・残念)
雨がひどくて景色はいまいちでしたが、桟橋がよく見えました。



その丘には「岸壁の母」と「異国の丘」の歌碑がありました。



「今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る」
異国の丘の歌詞です。希望に満ちた曲ですね。
ミュージカル「異国の丘」でも歌われていて、歌碑を見たときに
思わず口ずさんでしまいました。





記念館で年表を見ていて、当時の日本と今の北朝鮮がダブって
仕方がなかったです。
あのような悲劇は2度とおこしてほしくないと願うのですが・・・。




色々な戦争関係の記念館に行ったことがありますが
ここは人が多かったです。
もっともっとこういう場所に行って戦争を起こしてはいけない!
と思ってほしいです。
特に、若い人とお国の偉いさんには・・・。





この続きはまた明日!!
明日のお天気も気になりますね・・・。