おひさです~ぴぺこです~
だいぶご無沙汰してました
いきなりですが、1、2年前位の、とある電話会談を綴ります 笑
(↑いきなり過ぎ笑)
おば「あんた、まだ生きとった?」
おば「まだ〇なれんたいってやろ?」
私「そーよ」
おば「そーね!まだ生きとったね」
私「まだ〇なれんごた」
おば「当たり前たい!よかったよかった」
おば&私 「ゲラゲラ」
これは叔母とのいつものつかみです。
お互い乳がん同志&博多弁だからこそ繰り出せる会話なのでしょう。
この電話以来叔母とは電話では話してませんが、
連絡がないということは〇んでないということなのでしょう
この電話の時、
「あんまり面倒みよったらお金の面倒までみらないかんくなるよって親戚から言われた」と。
「やけんあんたのとこには、あんまり近寄れんとよ」と。
その位洗いざらい言ってくれる叔母が鈍感な私にはちょうどいいです。
叔母も私に面倒をみてもらうつもりにしていたようですが、
私も叔母の面倒をみれそうにないので、それ以来あまり電話も出来なくなってしまいました。
いよいよというのが近づいてくると、冗談も言えなくなってしまうものなんですかねぇ
とは言っても私はまだまだ、さらさら〇ぬ気はありませんよ~!
まだ断捨離終わってませんし 笑
こんな片付いていない家に人呼べませんから~笑
散らかっていても〇なないから大丈夫という言葉に甘えて
どんだけ甘えてるんだか~~ヤバイな
それから最近、悲しいお知らせが多すぎます
骨髄も両親ではあわず、兄弟姉妹でさえ4分の1しか適合しないとか。
私は30代半ばで癌になったから、
20代で骨髄バンクに登録できたならばやっとくべきだったと後悔
でも20代半ばで献血した時、
献血最中に頭がボワーンとなってきて、
耳鳴り、脂汗、視界は真っ暗。
酸素マスクをつけてもらう始末で、
ギリギリの量の献血はできましたが、
「もう献血はしないでね」
と言われてしまったヘボな私
その時以来自分にはそういうのは出来ないんだなぁと、やろうとしてなかった
でももし登録できてれば、誰かの命を救えたかもしれないんだなぁ、
妹でさえ守ることができないじゃないか そこでまず一泣き。
あと、50代で舌癌ステージ4で頸のリンパに転移で12時間手術って
うちのお父さんの時と同じやん!と、また一泣き。
絶対絶対、乗り越えてほしい!
家族のために生きてほしい!
なぜならば最近よく読ませて頂いてる佐野洋子さんの本の
フレーズの中で、(うろ覚えですが)
自分が〇ぬのはいいけど、
友達には絶対〇んでほしくない。
んです!!!
ハゲしく同感
人が〇ぬのは嫌なんだよ~~~
やっぱりまだまだしがみついてなきゃな
なんとか抗がん剤が効いてくれますように~
あちこち転移して腫瘍マーカーもダダ上りですが、
もうあまり気にしてませんし、少ないですけど
まだ使えるお薬があることにとても感謝してます
体調いい時はお出かけばかりしてますが、
ボチボチ家の片付けもやんなきゃな~
ダラダラ長文にお付き合い頂きありがとうございます。
また気が向いたら治療のこともアップしたいと思います。
では~~