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監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
 芸術を愛した叔母との別れ、叔母の面影を持つ女性との恋、義父との因縁と確執、西ドイツへの逃亡―
アカデミー賞®監督が贈る ドイツの激動の時代に数奇な運命を生きた若き芸術家の物語
ナチ政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって命を奪われる。終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋におちる。元ナチ高官の彼女の父親こそが叔母を死へと追い込んだ張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気づかぬまま二人は結婚する。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへと逃亡し、創作に没頭する。美術学校の教授から作品を全否定され、もがき苦しみながらも、魂に刻む叔母の言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けるクルトだったが―。「真実を描きたい」と苦悩するクルトの姿、モデルとなったリヒターの代表的なシリーズとして有名な、精密に模写した写真のイメージをぼかし、写真と絵画の境界線を曖昧にする手法を用いた「フォト・ペインティング」の創作シーンも切り取られている。
物語はドイツの現代に続く不の遺産の系譜で縦糸である、
当時、ドイツの医者の半分近くはナチ党員だった。 これほどナチ党員の割合の高い職業は他になかった。 T4作戦には著名な医学教授や医者が参加していた。 ドイツの医学界は上も下も安楽死計画に対して語るに値する反対を行なわなかった。 一般市民から、障害者の殺害に抗議する手紙や嘆願書が多くあった中で、ゴットフリード・エヴァルト教授からの手紙を唯一の例外として、精神病医からの抗議は無かった。
叔母から自由と芸出の才能を刺激された子供時代の少年クルトはやがて絵画の才能を開花させてエリーと出会うのだか・・・・・・。
西側の芸術の世界で美術学校の教授から作品を全否定されシーンは現代でもつづく
出る杭は打たれるとも考えられるね。
そこからがこの映画の面白さだ。
ドレスデンを旅した時教会やオペラハウスが黒く焼けた状態で復元されているのに驚き美術学校の教授から作品を全否定されました。この映画での破壊つくされたドレスデンの街が出てきます。

ゲルハルト・リヒター

1932年、ドイツ、ドレスデン(旧東ドイツ)生まれ。ドレスデン芸術大学で絵画を学んだ後、61年に西ドイツに移住し、デュッセルドルフ芸術大学に入学。世界中の主要な美術館が彼の作品をコレクションするなど、名実ともに世界最高峰の評価を受け、最も影響力のある現代アーティストであり、日本では05年に金沢21世紀美術館と川村記念美術館で回顧展を開催。16年には瀬戸内海の豊島に、リヒター作品を恒久展示する日本初の施設がオープンした。

瀬戸内国差芸術祭の時に訪ねた。