『帝国 ロシア・辺境への旅』極寒のシベリアと国が壊れる時に起こる紛争と経済危機環境破壊ストライキ | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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『帝国 ロシア・辺境への旅』

リシャルド・カプシチンスキ著 工藤幸雄訳

 本メモ ◆歴史の本 本書はロシアの辺境を題材にした紀行文だが、単に行程を記録したものではない。 一九三九年、ロシア国境のポーランドでの、少年時代の思い出が語られる。ピンスクは静かな農村だが、夜な夜なNKVD(KGBの前身組織)が民家に突撃して、家族をひきずりだして移送列車に押し込み、シベリアへ連れていく。のどかな風景や子供たち、家族、村人の生活に、〈帝国〉の力が闖入する。著者はロシアの風景、生活とともに、この土地を覆う〈帝国〉の強権、境界、つまり国家の力に強く関心を抱いている。 風景を創造するさい、存在するという意味の「ある」をはぶいて、単語のかたちで文を区切ったほうが自然に感じられることがある。本書やヘンリー・ミラーを読むと、Aがある、Bがある、Cが動いている、Dが通る、こういうことを文を区切って羅列していくより、語のまま羅列するほうが心地がよい気がする。  ――街の屋根、美しい公園の木立、教会の尖塔が行く手に見えだしたころ、橋のたもとの道路にとつぜん水兵の一隊が立ちはだかる。 少年時代の思い出の次は北京からモスクワにいたるシベリア鉄道紀行で、ここでは一部で「君は」と二人称が使われている。英語にはとくにこの言い回しが多いが、日本語でもそれほど違和感はない。数世紀前に流刑でシベリアにおもむいた将軍の回想録と、目の前の光景を並べながら、地獄の代名詞に用いられる、シベリアという特異な存在について述べる。 ――そう、つまり、客車が駅へと走るあいだじゅう、鉄条網は君に教訓を与える。 この先、心掛けるべきことを、執拗に君の頭にぶち込む。制限事項、禁止事項、指示事項の長々しい連祷を君の記憶に押し込むのは、君のためを思ってのことなのだ。 「君」への呼びかけ、羅列による風景創造(ゲームのマップ制作と要領は同じだ)、子供の心理に沿った状況説明、自問自答、かっこでくくらず聴いたことをそのまま叙述に挿入する、こうした技術を柔軟に使うことは、むしろ不自然さ、ぎこちなさを減ずることにつながるのではないだろうか。かならず過去形でおわる、「ある」「いる」が念仏のように繰り返される、といった文章は拘束具をはめられた文章である。また、月並みな形容詞が各単語についているとうっとうしいが、意図的に形容詞を積み上げるのは効果的だとおもう。  グルジア、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタンと、厳しい自然に囲まれた自治区をまわる。ソ連の少数民族は江戸時代の転封のように強制移住させられたので、利害関係が複雑に絡まっている。ペレストロイカ時代に再び自治国を訪れると、かつてソ連のみに一元化されていた利害は、数十、数百の無数の利害に拡散していた。 トビリシやバクーといった南方の都市では、数百の軍隊が存在し、衣類よりも武器、戦車、装甲車が安く手に入る状態になっている。ロシア人はいまだ恐怖の力をもっており、グルジア人とアルメニア人が殺しあうとき、ロシア人はその攻撃から免れている。しかし、惨状を目の当たりにして、アフリカの白人のごとくモスクワに逃げ出すロシア人も多いという。『あらかじめ裏切られた革命』や、イグナティエフの本にも書かれていた、無間地獄の光景がこの章でも展開される。 かつてはラーゲリ、いまはデドフシチナ、マフィアの跋扈と、構造的な暴力・残虐性はソ連にとって不可分である。「ここにもまたスターリニズムの特性がある。加害者と被害者とをきっぱりと色分けできないケースが多いのだ……悪夢に似たゲーム、このゲームでは参加の全員が敗者なのだ」。  *** 後半はソ連崩壊後の混乱、独立した衛星国の無秩序の説明がつづくが、本書の基盤はあくまで具体的な生活、光景である。収容所のなまけものと模範囚双方を射殺する幹部、スラムのなかに豪華な銀行がそびえたつ「限定的発展区域」、こうした光景と、めまぐるしく変わる政治は乖離している、と著者はいう。都市を建設するのには十年かかるが、政権は数ヶ月、数週間で転変する。しかし、政権の力は都市や生活を一瞬で破壊することもできる。北京のように破壊しつつ建築することができるのも政権の力である。 各部で描かれるソ連・ロシアの民衆の態度には、親しみを感じるものもある。生気がなく、なにが楽しくて生きているのかわからず、他人とかかわることを極力避け、不条理に耐える。これも人間の普遍的な姿ではないか。 帝国―ロシア・辺境への旅帝国―ロシア・辺境への旅今日の日記今日の日記ゆめのどくしょゆめのどくしょ読書読書言葉を紡ぐ人たち言葉を紡ぐ人たちロシアとは何か:読めば読む程味わい深いカプシチンスキーのルポルタージュ2012年4月9日に日本でレビュー済み「人間が砂漠へ出たのは貧困ゆえであり、それ以外に方法がなかったからだーとある人たちは考える。そうではない、その逆だ。トゥルクメニアでは、過去、砂漠へ乗り出せたのは、家畜を所有する人たち、すなわち金持ちであった。遊牧生活は富裕者の特権だった。『砂漠に出ているとは、名誉あることであり、そこは選ばれた場所なのです』とガブリエル教授は語る。」グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、トゥルクメニア、タジキスタン、キルギス。カプシチンスキーが歩いた国々ー生き生きと語られる人々の息づかい、暮らし、世界の有り様。辺境からモスクワへ1960年代から1990年代へ時を巡り地を巡り自由自在に描き尽くすロシア世界の実像。ウクライナの大飢餓、コルイマーの極寒ラーゲリなど、触れられること、知られることを拒む土地の記憶に、著者は静かに忍び寄るナゴルノ=カラバフのような行きたくても行けない紛争地帯のルポは特に興味深かった。描かれる普通の人々には殆ど幸せな人は居なくて、読んでいて重たい気持ちになる。アメリカと世界を二分していた帝国は張りぼてだったのか、それとも幻だったのか……。今その地に暮らす人々が少しでも当時より良い状況にあることを願ってやみません。

ロシアが帝国であり続けるのは、他民族であまりにも広すぎる土地と資源を持ったことであるらしいね。

旅する作家リシャルド・カプシチンスキの隣国ポーランド生まれの記者はヨーロッパ東欧の視点から捉えてた帝国の生の姿を描いている作品です。