本『煉瓦を運ぶ』を読んで。ミラクルマイルとパーフェクトマイル | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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人生の岐路を描いた7つの物語。父譲りの短篇の名手による、鮮やかな初作品集!

アレクサンダー・マクラウド/著 小竹由美子/訳
カナダ・ノヴァスコシア州ケープ・ブレトン島に生まれ、オンタリオ州ウィンザーで育つ。父親は『彼方なる歌に耳を澄ませよ』などで知られる、作家アリステア・マクラウド(おじさんの一番好きな作家)。ウィンザー大学卒業後、ノートルダム大学、マギル大学でも学位を取得し、ハリファックスのセント・メアリーズ大学で教鞭を執る。教職の傍ら短篇を書きため、2010年に『煉瓦を運ぶ(原題 Light Lifting)』を刊行。ギラー賞、フランク・オコナー国際短篇賞の最終候補にノミネートされ、グローブ・アンド・メール紙ほかで「今年の本」に選ばれるなど、注目を集める。2016年5月現在ノヴァスコシア州ダートマス在住。

アリステア・マクラウド

アレクサンダー・マクラウド


自動車産業の知られるカナダの街ウィンザーで、灼熱の太陽の下、煉瓦式に励む男たち、働き者の高校生がバイトを辞めることになり、リーダー格のトムは送別会を兼ねて昼間から皆をバーへと誘った。だが、そこでまさかの事件が起きる――。スリリングな人間模様を鮮やかな筆致で描く代表作のほか友人ランナーの奇跡の追い上げを敗者の視点から写し出す「ミラクル・マイル」幼少期のトラウマを克服するため飛び込んだ水泳教室での恋の予感が語られる「成人初心者Ⅰ」など。
誰の人生にも起こりうる、瞬間のドラマを切り取った7編 (本の帯より)

表題作「煉瓦を運ぶ」の原題は「ライトリフティング」で、「軽いものを持ち上げる」という意味。その短篇の作中にはこうある。〈どんな子でも、一回か二回でいいなら百ポンドの重量を持ち上げることができる。ところが、本当にこたえるのは、軽いものを持ち上げることなのだ。たぶんたったの三十ポンドくらいで、ゆっくりと始まる。ところがそれが一日じゅう続くと、職場を去ったあとも腕や脚にダメージが残っている。ああいう持ち上げる作業をしていると、まず膝をやられ、それから肩と首をやられる〉
作家専業となる前に肉体労働をしていた私にとっても、よく頷かされることである。百ポンドはおよそ四十五キロだから、五十キロの袋詰めセメント袋のずっしりとくる重さを(現在は、労働者の負担を軽減するために二十五キロになっている)、三十ポンド(約十三・五キロ)は、花壇に使うような普通の煉瓦が二・五キロなので、それを五、六個重ね持つことを想像した。そして、よほど重いものは、腰を落として慎重に持ち上げるが、それほどの重さではないときに前屈みになってから身体を起こすことを習慣的に繰り返した後にじわじわと襲ってくるダメージが蘇るようだった。農作業を長く続けて腰の曲がったままの老人を思い起こせばわかるだろうか。
強い陽射しの下、現場で煉瓦を敷いていく職人である主人公は、新入りのハイスクールのアルバイトが日焼け止めのローションを使おうとするのを見て、自分ならそんなことはしない、と注意する。手にオイルがついていると煉瓦をうまく扱えないばかりか、浸み込んで手を台無しにする、やわになるという。
今どき珍しく、労働が求める繊細な身体の深所から発せられる共通した声に触れた思いがして、私はすっかり嬉しくなった。
本書に収められた七篇とも、年齢も、性別も、状況も異なる主人公たちは皆、自身を外側から見つめるまなざしを持ち、身体を通した感覚を拠り所として冷静に思考するのが特徴的で、さしずめ身体性をめぐる七つの変奏、といった趣がある。千五百メートル走を走る(「ミラクル・マイル」)。シラミの卵を探す(「親ってものは」)。煉瓦を持ち運ぶ(「煉瓦を運ぶ」)。溺れかけた者が泳げるようになる(「成人初心者Ⅰ」)。自転車を漕ぐ(「ループ」)。とっくみあいをする(「良い子たち」)。交通事故経験者が国道を歩く(「三号線」)。
それらの行動に駆使される筋肉も繊細であり、マッチョに盛り上がった力瘤や、短距離走のような瞬発力に必要な白筋ではなく、さしずめ水泳など持久力が必要な有酸素運動に適した赤筋によってとらえられた世界がよく描かれていると言えるだろう。そして、カタストロフィーの一歩手前でとどまり暗示させる作風が、短篇の緊張度を最後まで保つことを成功させている。さらに、作品に共通する舞台であるカナダの斜陽化する自動車工業都市ウィンザーの街――合衆国のデトロイトとは橋、河底トンネルで結ばれ、大気汚染も問題となっている――までが、身体性を帯びて息づいているかのようだ。
「ループ」。自転車で医薬品を配達している少年が雪道ですべる。その彼が訪れる介護施設では〈つるつるするのは許されない〉という記述にはっとさせられ、ひどい褥瘡を目にしたり、乳房の嚢腫を診て欲しい、と頼まれたり、小児性愛者だと噂されているヘルニア持ちの裸同然の男に接することで、一足先に大人の世界を垣間見せられる少年の世界を描いている。(佐伯一麦書評)
「ミラクルマイル」読む 前に読んでおきたい本。「パーフェクトマイル1マイル4分の壁に挑んだアスリート」
おじさんがヘルシンキで泊まるユースホテルはヘルシンキオリンピック競技場の トラックに隣接している。ホテルにあるランナーの写真は人間機関車エミール・ザトペックであった。ヘルシンキオリンピック(1952年)の5000m・10000m・マラソンで金メダルを獲得した。この長距離三冠の記録は今後達成する選手はいないだろうと考えられている。顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイルから『人間機関車』と称された。また、インターバルトレーニングの創始者としても知られている
このエミール・ザトペックに敗れた3人若者たちランナーの挑戦を描いたのが「パーフェクトマイル1マイル4分の壁に挑んだアスリート」である。
1マイル4分を切ることは不可能といわれていた約50年前に、国の違う3人のランナーがその壁に挑んだという実話。彼らが1マイル走で記録を作ろうと思いついた直接のきっかけは、52年の(チェコの人間機関車エミール・ザトペックが5000、10000、マラソンで三冠を取った!)での惨敗だったが、深い動機に3人の個性とお国柄が出ているようで興味深かった。敢えて単純化してしまえば、イギリス人のロジャー・バニスターは、当時脅かされていたイギリススポーツ界のアマチュアリズム(趣味として真剣にやる)を貫いても4分を切ることができるという自分の信念を人々に証明するために挑戦し、アメリカ人のサンティーは不遇だった生活を切り開くため、オーストラリア人のジョン・ランディは1マイルで4分を切ることが陸上選手としての「美の達成」だとしてもっぱら私的な満足のために走った。ジョン・ランディがその他大勢の選手達とスタートを切る写真が載っているが、素人目にも素晴らしいランナーだというのが分かる気がする。他の選手(バニスターやサンティーは居ない)は上体が傾いたり顎が上がったり、脇が開いたりして人間的な崩れ方をしているのに、ランディは機械みたいに完璧。美しい。実際に走るのを見てみたかった。
本書の主人公達もそうである。しかも、彼らは練習時間が保証されている訳でなく、もっと制約された形であった。
イギリスのロジャー・バニスターはオックスフォード大学の医学生。世紀の対戦の前には医師国家試験も控えていた。オーストラリアのジョン・ランディーはメルボルン大学で農学を専攻しながら、午前2時の深夜のトレーニングに励んだ。アメリカのウェス・サンティーがカンザス大学に入学したのは、走る素質を見いだされた幸運によるもので、それがなければ水道も電気もない過酷な農場で、一生、働くしかなかった。走ることは、父親の虐待を受け続けていた過酷な少年時代から逃げ出すためのものであった。
彼らが出場し、ともに屈辱を味わったヘルシンキ五輪は、それまでのアマチュア・スポーツの理想主義から、プロ・スポーツの勝利至上主義への転換点となったといわれる。それでも、彼らはただ名誉のために、記録に挑み続けた。とりわけアマチュアリズムが理想とされたイングランドのバニスターは、医学と陸上とを両立させることで、人間の英知の証明を試みようとした。生活の他のすべてを犠牲にしなくても陸上競技で偉大な結果を残せることを示したかった。1マイル4分そのものが目的ではなく、むしろこの難題に取り組むことで、スポーツと人生をめぐる真理を証明したかった。
ともかく3人が手探りで自分に合ったトレーニング法を考え実行し、少しずつタイムを縮めたり、スランプに陥っても立ち直る様子はとてもスリリングだ。とりわけレースの描写が素晴らしく、実況を見ているよう。偉業を達成する手助けをしたペースメーカーやコーチたちのキャラクターもよく立っている。10分の数秒を縮めるのに非常な苦労をした4分の壁を誰かが一度破ってしまうと、続々と後に続く選手が出てくるという点などは肉体と心の謎である。200年くらい前からイングランドで本格化したというマイルレースの歴史や、英米豪それぞれの当時の陸上界事情も分かる。イギリスで、紳士たるもの努力した跡を見せてはならないという教えを体現するかのように、ある中距離走者が火のついた葉巻を銜えてスタート地点に来て、葉巻をその場に置き、4マイルをレコードタイムで走り、またその葉巻を吸い始めたという話など、私は軽薄にもそういう逸話が大好きなのでもっと聞きたいーと思った。今の一流選手たちは1マイルを3分40秒切るぐらいで走るという。。「パーフェクトマイル1マイル4分の壁に挑んだアスリート」おじさんの書評終わり
「ミラクル・マイル」を走ったときのロジャー・バニスターとジョン・ランディーまつわる伝説を信じている人もいる。文字通り全世界が四分を切るタイムで一マイルを走ることのできる二人の男に注目したなんて、おそらく歴史上あれ一度きりではないか。最初に四分を切ったのは、誰もが知っているとおりバニスターだったが、バンクーバーで二人が対決したころには、ランディーはさらに速く走っていた。彼は世界新記録保持者で、大半が、彼が勝つほうに賭けていた。
あのレースの録画を見れば、ランディーはかわいそうに、最後の一周がはじまらないうちにもう駄目になっていることがわかる。こういうのは自分で経験してみてわかることなのだ。へばってしまったら、なにしろへたばってしまののであって、どれほど奮闘しようがどうにでもできない。運動生理学の専門家は、これはすべて乳酸発酵の問題だと説明する。「ミラクルマイル」本文より

同じクラブで切磋琢磨してカナダの1500メートルランナーとして成長してきた僕と相棒のバーナー、世界を目指す重要な大会で彼らはどんな走りをするのか?
競技場へ向かうシャトルバス。槍投げ、砲丸投げ、短距離選手。イラつく選手たちの集団だ。
作者自身、一時期千五百メートル走の選手として真剣に練習を重ねた経験があり、今も走っているそで、書くことと走ることは共通点が多いのだとあるインタビューでかたっている。