明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
明治維新のころ薩摩の兵隊と長州の兵隊が連合軍として戦争をするとき、上官の命令が行き届かないのでは戦争にならないという新政府の連中の焦りが面白かった。
明治時代になってもなお書き言葉の主流は文語体であり、手紙は候文であった。各地の方言は強烈で、「共通の日本語」は成立していなかった。「すべての国民のための言語」=国語が何としても必要だ、と国語学者・上田万年は考えた。
言文一致運動での二葉亭四迷や山田美妙の功績は周知のことだが、上田万年の名はあまり知られていない。この本は、万年の人生をタテ糸に、近代日本語成立のプロセスを丹念に見ていく。四迷、漱石、円朝らがヨコ糸となり、国語としての近代日本語という織物が鮮かに立ち現れてくる。
明治四十一年の臨時仮名遣(かなづかい)調査委員会で、森鴎外は歴史的な仮名遣いの維持を主張する。話す通りの音で表記しようとする「新仮名遣い」を主張する万年らと対立する。
鴎外の『舞姫』は「石炭をば早や積み果てつ」で始まり、文語体の名文が続く。一方、漱石の文体は「吾輩は猫である。名前はまだ無い」と話すように書かれる。仮名遣いはまだ旧仮名でも、文体自体は現代と変わらない。漱石の日本語の文体が主流となり、現在の私たちの文体となっている。その『吾輩ハ猫デアル』の文章は万年なしには生まれなかった。万年がベルリン大学で学んだ比較言語学が新しい日本語に影響を与え、昭和二十一年の「現代かなづかい」の告示へとつながったのだ。
言語が国をつくる。万年のこの信念が近代日本語の推進力となった。今、日本語は柔軟であり、かつ世界のあらゆる知を消化できる消化力を備えている。日本語がこの地上から消えることがあれば、本来の意味での日本人もまたこの地上から消えるだろう。私たちは日本語を通して感性を養い、思考力を培っている。言語は人をつくるのである標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。
寄席好きの漱石が話すように書く。「吾輩は猫である。名前はまだ無い」は大家と熊さんの会話の話言葉から生まれているのかもね。
