『須賀敦子の方へ』松山巖/著  を読んで | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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須賀作品のなかで『トリエステンの坂道』の中の作品「雨のなかを走る男たち」傘を持たず、雨の中を上着の前を合わせて走り出すイタリアの男たち。この作品が須賀敦子の作品で一番好きだ。

 

 

『須賀敦子の方へ』松山巖/著  を読んで

 

  

彼女は誰より深く孤独を味わい、だからこそ出会いは恩寵となった。

 

カルヴィーノ、タブッキ、サバ、そしてユルスナール。人を愛し書物を愛し、たぐい稀な作品を紡ぎ出した須賀敦子。無垢な少女を信仰へ、遥かヨーロッパへと誘ったものは何だったのか。その言葉の示す意味をあらためて読み返す――。彗星のごとく登場し知と情熱をたたえた忘れ難い佳品を遺して去った、伝説の文筆家の核心を辿る。新潮社本書の紹介文より

 

須賀敦子が東麻布に住んでいるときに,近所には遊んではいけないと言われていた男の子たちがいた。わんぱくな町風の子供遊び。行ってはいけない町言われていた。下町てきな賑やかさがある麻布十番まで近所のおばさんと一緒に歩いて行く。

著者の松山さんは、実際にこの道を歩いて麻布十番まで行ってみる。坂の多いところだよね。

読書家の父に進められて読んだ 森鴎外 「渋江抽斎」今回これをおじさんも読んでみた 油斎の四場目の妻五百が 江戸末期に、教養のある自分で考える女。

 

松山さんが歩くのは

谷中(渋江抽斎墓)神戸 (夙川の家) 小野(母の疎開先) 東京港区 (聖心女学院)

大阪中之島(須賀工業本店) 雑司ヶ谷 麻布 川崎登戸 白銀 聖心女学院 広尾

四谷 信濃町 東京三田(慶応大学) 神戸港 

 

膨大な読書家である。須賀敦子が本読んだ本。 彼女の本の読み方 深く 本と対話しながら 内容を自分の中に積み上げていくよう深く記憶にとどめている。

 

それらの 本と対話した 生き方から 生まれた 憧れ。 自立した考えを持つ 生き方。そこから生まれてきた、須賀作品の文章に驚いた松山はいかにしてそれらが紡ぎだされるか、ひとつひとつの文章の生まれる場所たずねることにより、その内容に踏み込んで考察しながら須賀作品と対話しながら旅をつづけていく。

 

学校 小林聖心 聖心女学院 慶応大学院 いつも本があり、信仰と祈りがあり、厳しい寄宿舎生活があり、公用語としての英語あり 国際人として育てる教育があり 修道院へ入り祈りの中へ生きる友人 洗礼 家族の環境は父親の不倫 そんな中で成長していく須賀敦子へ著者は深く迫る 

 

戦時中 日本に帰化した アイルランド人シスター:フレンチが敵国語の英語の秘密の授業をしていた。「私たちは知っている。灰色の暗い雲がいま空をおおっているけど、ふさいではいけない、雲は黄金のひかりにふちどられている。雲のむこうは太陽が」これはアイルランドの風景だね。

 

 

卒業も間近なある日、しげちゃんが、あたらしい校舎の四階まで私に会いに来てくれた。私の個室のドアが半ひらきで、私はそれによりかっていて、目の前に私よりちょっと背のひくいしげちゃんがいた。どうして、そんなに反抗ばかりするのかな、と彼女は言った。私にもわからない、でも、なにもかもいやだ、そう答えると、しげちゃんは言った。でも、だいじょうぶよ。私はあなたを信頼してる。ちょっとふらふらして心配だけど、いずれはきっとうまくいくよ、なにもかも。(しげちゃんの昇天より)

 

慶応大学院 自由な世界 カトリック左派の世界へと仲間たち

 

須賀が憧れていた。「灯台のような存在」

フランス人 シモーヌ・ヴェイユ 哲学者アランに学び、教員免許をとりながらも、労働者と共に工場や農場で働いたヴェイユ。政治運動に身を投じ、スペインのファシスト政権と戦い、最後はフランスのレジスタンス運動にハンストもって参加し、1943年没したヴェイユ。

ドイツ生まれ(現在のポーランドヴロツワフ)エディツト・シュタイン(Edith Stein, 18911012 - 194289) は哲学者でフェミニスト、カルメル会の修道女。カトリック教会の聖人アウシュヴィッツで斬殺された(殉教者)。修道名は十字架の聖テレサ・ベネディクタである。おじさんが映画で紹介した

 

 

最後に神戸港 フランスへ旅立つところで終わる

 

 

 

 

著者の松山さんは この作品つづき 須賀敦子のが向かったフランス イタリアへ と旅する予定らしい。

 

おじさんはバルカン半島とアドリア海の旅で (トリエステン2012) 訪ねているけど

須賀敦子さん作品の舞台のイタリアを松山さんの訪ねる旅の本が 出る前に旅するおじさんは松山さんより先にイタリアを旅することができるだろうか?

 

 

欄外 本では、彼女の母親が、落語が好きだった。 彼女も落語を聞いて育った。いう話が出てくる。

 

後に谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」をイタリア語に翻訳しているが、この関西弁のリズムの滑稽話がこの本の面白いところであるけど、これを夙川育ちの須賀がどんなイタリア語に翻訳したのだろうと考えてしまった。 きっと イタリア語でも 落語的なリズムで翻訳したのではないだろうかと考えた。