ハノイ美術館で絹絵を観る
モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん―修復家・岩井希久子の仕事 [著]岩井希久子
■名画を修復する驚きの「秘法」名画を修復する職業があることを、大抵のかたがご存じないのでは? 肝心の修復家が仕事の内容や生活を、発言しないせいもある。もっともわが国では美術館に修復部門が、ほとんど無い。従ってこの道に携わる人は少ない。
本書の著者はイギリスで技術を学び、モネやゴッホの修復を手がけた。新しい絵画の保存方法も考案した。若い人たちに仕事の魅力を伝えたくて、独自の技法を惜しげもなく披露したという本書は、一般の読者にも興味つきない。
修復の第一歩は絵の表面の汚れを取ることで、それには唾(つば)を用いる。綿棒や筆の先に唾液(だえき)をつけ、転がしたりなでたりする。また消しゴムも用いる。固形の消しゴムをおろし金でおろし、画面にまいて刷毛(はけ)で払う。のっけから、驚きの「秘法」公開である。
著者はディズニーアニメのセル画も修復した。剥がれた絵の具の欠片(かけら)を拾い、パズルのピースを埋めるように元に戻した。修復前と後の山下清の絵を見ると、技の凄(すご)さに惘然(ぼうぜん)。 [評者]出久根達郎(作家)より
NHKで 旅のチカラ「幻の絹絵よ!よみがえれ~絵画修復家 岩井希久子 ベトナム~」 と題する番組でその仕事ぶりをしり驚いています。
オリジナルを修復することにどんな意味があるのかと思うことがあります。 他人が手を入れればそれはもう画家の絵ではなくなるのだからとも思うのです。
でも、岩井さんの画家の魂を蘇らせるという修復にかける思いを知ったときに、初めて修復という事業が行われることの意義を理解できました。
修復のために持ち込まれたベトナムの絹絵は欠損も酷く、色も定かではありません。 そのためベトナムを訪れてもう今は亡くなってしまった画家の足跡や残された絵画、それにベトナムの状景までたどるのです。
そして、その画家の思いを少しでも分かろうとするのですね。 修復という作業をするためにこんなにも前準備をするのだと言うことをしり、これこそがプロフェッショナルだと感じいりました。
「戦争の悲しみ」バオ ニン (著), 井川 一久 (翻訳) ベトナム戦争(抗米戦争)に参加した北ベトナムの若者の物語。彼の父はハノイ住む画家で、絹絵も手がけていた。
むかし、ベトナムの絵画を取り上げていた記事でベトナムに絹絵という絵を知りました。絹の生地をキャンバスにして描く独特の絵画法伝統的に続いていた。フランスの画家がハノイに美術学校作った時に絹絵を学ぶ学科も設けられたという。 西洋の絵画の影響を受けながら独自の発展を遂げたベトナムの絹絵は、独特の風合いのあるやさしい絵としてベトナムの伝統絵画としていき続けています。 しかし、ベトナム絵画の保存状態は、悲惨であります。
それを、知った日本人が修復へ尽力した。記録の本が
「ベトナム絹絵を蘇(よみがえ)らせた日本人」

ベトナムを代表する画家グエン・ファン・チャン(1892~1984)。その絹絵の修復に尽力した金沢市の映像ディレクター中村勤さんらの活動を描いた新刊「ベトナム絹絵を蘇(よみがえ)らせた日本人」(三五館)が発刊された。
著者は文化ジャーナリストの白鳥正夫さん(67)。朝日新聞金沢支局長を務めた後、本社企画部で美術展の企画や運営に携わり、2004年に退職した。
白鳥さんと中村さんの出会いは08年。東京の展示会でチャンの絹絵を見た白鳥さんがインターネットのブログで紹介。記事を見た中村さんから、金沢支局長時代の人脈を通じ「絹絵の修復について相談したい」と持ちかけられた。
中村さんは07年、チャンの作品に魅せられてベトナムを訪れていた。現地では作品の保存状態が悪く、退色や劣化が進んでいることを知り、なんとか修復できないかと考えていた。
中村さんの熱意に動かされ、白鳥さんは、テレビ局での番組化や国際交流基金からの助成を得られるよう、関係者に働きかける役割を買って出た。
その後、中村さんは、金沢市に本店を置く三谷産業などの協力も得て、東京の修復家・岩井希久子さんに絹絵3点を修復してもらった。昨年10月~今年2月に金沢21世紀美術館での展示を成功させた後も活動を続けている。
今回、 ハノイの美術館 絹絵 を観た。
フランス統治時代の美術学校らしい、窓があけられた部屋に絵画が展示されていた。
戦争画が多く描かれた時代でも、絹絵のやわらかいタッチの風合いは、戦争画には向いていません。 ベトナムの平和の絵といえます。ハノイ美術館の 、絹絵の部屋には、戦争がひとつもありませんでした。