「四つの小さなパン切れ」と「運命ではなく」を読んで
「四つの小さなパン切れ」
著者 マグダ・オランデール=ラフォン 訳者 高橋啓
16歳のとき、マグダはアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所に収容された。母と妹は到着するなりガス室で殺され、別れのまなざしを交わすことさえできなかった。家族でただ一人、そしてハンガリーのユダヤ人の中でも数少ない生き残りとなった著者は、長い沈黙ののちに、言葉を紡ぎはじめる。そして中高生にみずからの経験を語り伝える活動を始め、さらに数十年の時を経て、本書が生まれた。
「わたしは偶然のほほえみに照らされた道を選んだ」。ここにあるのはナチスへの告発ではなく、恐怖と死の記憶を超えて、いかに人生を取り戻したかを静かに綴る、生についての記録だ。新たな世代のために勇気をもって語られた、貴重な証言。
家畜用の貨車に詰め込まれ、三日間の旅をした。降りるとすぐ、一人一人が右と左に分けられた。一緒にいた母と妹は左、著者は年齢を18歳と偽ったら、右と言われた。
左に行った人々は、そのままガス室に送られた。アウシュヴィッツの煙突から立ち上る煙だけが、命の痕跡。
囚人のパンを搾取してきれいな服をあがなった班長がいた。以前は囚人だった人だった。人のパンを盗んで食べる人もいた。それを見てうらやましさを感じる自分がいた。
黴だらけの四つの小さなパン切れを分けてくれた瀕死の囚人がいた。靴を失った「わたし」に、こっそり木靴をくれた看守もいた。闇は深かった。だが、だからこそほんのわずかな光が、とてつもなく輝いて見えた。
何人もの囚人が、自分たちの衣服をつなげてロープ代わりにして、仲間同士で助け合って首を吊った。「わたし」も死を想った。労働で赴く湖のほとりで、死を願って湖面を見つめた。でも、見知らぬ修道女がこう語りかけた。
「生きることを信じよう。絶望を払いのけよう。わたしたちのあいだに友情を育てよう。わたしたちの力を集めよう。勇気を失ってはいけない。弱い人はここでは生きていけない。わたしたちは生きのびなければならない。わたしたちには生き証人が必要なのよ」(p.52)
アウシュヴィッツから生還したマグダが重い口を開くまでには、30年もの年月を要した。本書の前半部「時のみちすじ」が刊行されたのは、1977年だ。でもその後は、学校でも収容所体験を語った。その内容が本書の後半部「闇から喜びへ」のもとになった。(みすず書房の紹介記事を参考)
『運命ではなく』
ケルテース・イム著 岩崎悦子訳
ストーリーは少年の父親が強制労働に招集されたことで始まる。彼は継母と一緒に住み、チェペルにある軍需工場で勤労奉仕をして暮らしていた。ある日、ジョルジュと彼の友達は警察官にバスから降ろされ、彼らはある煉瓦工場に連れて行かれた。そして、ゲットーに捕らえられた他のユダヤ人と共に列車に乗せられ、ドイツにあるアウシュヴィッツ強制収容所に移送された。収容所でジョルジュと多数の仲間達は労働可能と判定され、彼らはその理由で処刑されなかった。その後、彼らはブーヘンヴァルト強制収容所に送られた。そして、そこにある軍需工場で明け方から夜遅くまで強制的に働かされた。過酷な強制労働と栄養不足でジョルジュの体は弱くなっていった。その後、移送された別の小さな強制収容所で大病になり、ブーヘンヴァルトの囚人病院に送られた。ジョルジュはそこで死を待ち続けていたが、病状の回復途中で強制収容所が解放されたことを知る。コヴェシュ・ジョルジュはすっかり様変わりしたブダペストに帰る。父親が死に、継母が再婚しており、わが家に知らない家族が引っ越していた。過酷な経験をした主人公は日常的生活に対処することができない。住む場所もなく、新しい生活を始めようとする
(Wikipediaより)
「四つの小さなパン切れ」と「運命ではなく」を読んで
マグダもジョルジュも年齢を誤魔化して18歳といって強制労働へつかされたことで生き残りができた。
「四つの小さなパン切れ」はノンフィクション。「運命ではなく」は小説
ブーヘンヴァルトの囚人病院でジョルジュ病室を担当する看護師が彼のために缶詰やパンを差し入れくれる。次第に元気を取り戻していく。アウシュヴィッツのオーケストラの演奏がマグダの支えになった。「運命ではなく」の映画でも少年の合唱シーンが泣かせます。
母と姉を失ったマグダは西側のベルギーへ、アメリカ兵に解放されたジョルジュはアメリカへ来ないかと誘われますが両親の生死を知らないジョルジュはブタペストへ。
これが小説「運命ではなく」誕生に一因かもしれませんね。(共産主義の自由の少ないハンガリー社会)だからね。
アウシュヴィッツは、ポーランド クラクフからバスで1時間40分。田舎の町です。町の煙突にシュバシコウ(コウノトリ)が巣を作っていました。
もちろん収容所跡を見ることができます。
