手紙 : ミハイル シーシキン著, 奈倉 有里 訳 恋人の往復書簡小説。 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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手紙のやり取りをするのは戦地に赴いた青年ワロージャとその恋人サーシャ。会えない淋しさや恋人として過ごした思い出、一緒にいたときには語らなかったこと、両親や家庭環境、ふと思い出したささいな出来事などを手紙に託している。そのうち、ワロージャの所属する部隊が中国に赴任することになり、五感で体験した戦地の惨状を伝えるようになる。そして「義和団」や「連合軍」という言葉が登場する。

 

義和団事件とは

「1860年の北京条約でキリスト教の布教が自由になって外国人宣教師が奥地に入るようになると、治外法権を利用した横暴なふるまいによって中国民衆との紛争が頻発するようになりました。山東省では1890年代末から大刀会や義和拳という武術を習う人々を中心として宣教師や教会を襲撃する仇教(きゅうきょう・反キリスト教)運動が活発化しました。彼らは義和団と呼ばれ、1899年頃から参加者と規模を拡大し「扶清滅洋(清を助けて西洋を滅ぼす)」を唱える大規模な武装排外運動に発展しました。1900年には鉄道、電信の破壊闘争をおこない天津と北京を占拠、北京では公使館地区を包囲しました。」清朝政府が列国に対して宣戦を布告するにいたると、8か国(日本・ドイツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)の連合軍が北京に進撃した。日本では「北清事変」と呼ばれる。義和団は討伐され、清朝は降伏した。

ワロージャは戦地から、サーシャはモスクワから、初めて結ばれた夏の日の思い出、戦場の過酷な日常、愛しているのに分かりあえない家族について綴った。ワロージャの戦死の知らせを受け取った後も、時代も場所も超えて手紙は続く。二人はそれぞれ別の時代を生きている、再び出会う日まで。ロシア・ブッカー賞作家の最新長編(本書の紹介文)この作品はある男女が交わした手紙から成り立っている。男性は戦場におり、女性は故郷にいる。若い2人のお互いを思い合う手紙は、綿々と綴(つづ)られはするものの、対話というよりも独白に近い。読み進むにつれ、ロジャーは、戦争の悲惨さ(戦闘での死ばかりでなく、食糧不足の飢え、伝染病、下痢、友人の死)の中でいきる。戦場では、手紙が唯一の希望であり。精神を安定させるため。戦場での現実を。あったことのない父親思いを、盲人の継父への思いを、ママへの思いを書き綴った手紙を恋人サーシャへ送る。

サーシャのほうは、恋愛と妊娠、母親争い、家族の不幸といった出来事を経て確実に年をとり、実生活の時間が流れていくのに対して、ワロージャの時間は遥か彼方の戦場で凝固したままだ。そうだとしたら、この二人の手紙のやりとりは、どうなっているのだろうか。手紙は相手に届いているのか、疑問になってくる。それともこのすべては架空のやりとりなのだろうか? 宛先に届かない手紙というのは確かに現代的な主題ではあるが、その点に関して登場人物たちの信念は強い。ワロージャはこう言うからだ――届かないのは、書かれなかった手紙だけだ、と。つまり、書かれた手紙は必ず届く、ということだろうか。実際、戦死したはずのワロージャからは、こんな力強い言葉が届く。「サーシャ。どんな存在の証明がいるっていうんだ。僕は幸せなんだ、君がいて、君が僕を好きで、今これを読んでいてくれるだけで」。

 

  最初は若い恋人同士の無邪気な手紙が、次第にそれぞれの物語として独り立ちしていく。温かいエピソードや胸の痛む話から、たくましく生きる二人の姿が見えてくる。生まれる者がいれば、死にゆく者もいて、生きる意味や死とは何かという問題を追い求める。生死を目の当たりにする戦地で「生きる」ことについて考えるのは想像できるけれど、日常生活を送るサーシャもそのような問題から逃れることはできず、ひとつひとつ乗り越えていくのがわかる。

 

 読んでいる最中に疑問が浮かんでくるものの、それに対する明確な答えは示されていない。たしかなことは、二人は手紙を書いたということだけだ。時代も場所も超えて手紙は続く。二人はそれぞれ別の時代を生きている、再び出会う日まで。著者はモスクワ生まれで、現代ロシアを代表する小説家とのこと。この『手紙』という小説は、若い恋人同士の書簡のやり取りから始まるのだけれど、通常の書簡体小説とは趣が異なっている。手紙という形を通して、個人の物語と大局的な世界の物語を交互に示しながら、どう受け取るかを読み手に委ねるような奧の深い物語だった。

読んでおじさんが思ったこと。
出会いの場は、モスクワ郊外のダーチャ(別荘)夏の日の休日の・・・子供時代に出会い遊んだ。 ダーチャで何かが起こる・・・・・。これがロシアのダーチャ文化だよね。


日本での講演会でロシア文学者の沼野充義が、シーシキンがベルリンやアメリカ、スイスなど亡命者のように各国で暮らして書いていることの真意をただすと、「他国に住めば自分の言語や歴史をよく知ることができる。一生自分の国だけで過ごすのは、鏡のない家で過ごすようなものだ」と答えた。

これは、ヨーロッパに住むことによって。ロシアをヨーロッパ人の視点で捉えることができることにより。歴史(ロシアの教科書に出ていない侵略史の現代史見えてくるのでしょう)が見えてくるのでしょう。そこで、手紙では、モスクワから見ると遠く離れた中国で起きた侵略戦争(義和団事件)取り上げているのでしょう。

海外に居る事によって日本の良さや悪さが理解できますからね。

本文の中、戦場の廃墟の村で、老人が キリストいい人 キリストいい人と ロシア兵に助けを請います。

これは、キリスト教とを守る為といいながらのヨーロッパの国が軍隊を派遣するのは植民地を作るときの侵略戦争の切っ掛けに過ぎませんね。