『DUTY-わが父、そして原爆を落とした男の物語-』
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『DUTY-わが父、そして原爆を落とした男の物語-』 ボブ・グリーン(著)何の倫理観の葛藤もなく、原爆投下という任務を遂行したことを誇りする男たちがいた。米国では、戦争の英雄が重い口を開いて語った英雄物語、日本では、大量殺人犯の告白物語。
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツへの20年越しの取材に成功したボブ・グリーン。年老いた「英雄」と、同じく年老いて死の床にある無名兵士だった自らの父親の姿を重ね合わせながら、インタビューはつづいていく。
わたしはポール・ティベッツが受けた教育に興味がひかれた。私立の寄宿高校で軍人を輩出する教育機関である。
ポール・ティベッツは任務をかなずはたす訓練うけた。
彼は言う「われわれアメリカ軍兵士は、祖国の指導者から命ぜられた任務を果たすために身命を賭して戦った。日本軍の兵士も同じだ。ある種の共通点のようなものがあると思う」
アメリカには現在もこのよう教育機関があるのだろうか?
かれは、任務を果たしたことに誇りに思っいた。広島に原爆を落とした男。
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツへの20年越しの取材に成功したボブ・グリーン。年老いた「英雄」と、同じく年老いて死の床にある無名兵士だった自らの父親の姿を重ね合わせながら、インタビューはつづいていく。
わたしはポール・ティベッツが受けた教育に興味がひかれた。私立の寄宿高校で軍人を輩出する教育機関である。
ポール・ティベッツは任務をかなずはたす訓練うけた。
彼は言う「われわれアメリカ軍兵士は、祖国の指導者から命ぜられた任務を果たすために身命を賭して戦った。日本軍の兵士も同じだ。ある種の共通点のようなものがあると思う」
アメリカには現在もこのよう教育機関があるのだろうか?
かれは、任務を果たしたことに誇りに思っいた。広島に原爆を落とした男。

『康子十九歳 戦渦の日記』粟谷康子

昭和19年から昭和20年。
ノンフィクション作家・門田隆将の著した『康子十九歳 戦渦の日記』粟谷康子(あわややすこ)。
大正15年1月5日生まれ。
東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)附属高等女学校専攻科3年に在籍。
当時の広島市長・粟谷仙吉(昭和20年8月6日の原爆によって死亡)の次女。
広島原爆によって、父や弟などの死を知らされた康子は、被爆してなお生き残った母親の看病のため、東京から焦土と化した広島に向かう。
そして、死を目前にした母親を助けようと献身的な日々を送る。
脱毛と鼻血、歯茎からの出血。
そして呼吸困難……その度に、康子は口移しで母に人工呼吸をおこなった。
が、昭和20年9月7日、母・幸代死亡。
享年41歳。
康子は、両親、弟らの遺影を抱いて帰京するが、やがて体調不良に陥る。
症状が母親とそっくりだった。
看病中に二次被爆していたのだ。
母親の死から僅か2ヶ月半後の昭和20年11月24日、康子死亡。
享年19歳。
20歳を目前にした死であった。
康子の死後60年余を経た現在、かつての友人たちは80代の老境を迎えている。
しかし、この若くして逝った乙女のことを、友人たちは今も折にふれ語り合っているという。
彼女を偲ぶ会を開いたり、追悼文集を出したりして……
何がそれほどまでに彼女を偲ばせるのか……
優れた感受性、思いやり、信念、毅然とした物の見方、家族愛……
自らの命をかけて家族への愛を貫いた康子は、その思いを綴った克明な日記と、兄弟や友人、知人に書き送った多くの手紙を残していた。
その資料を基に、康子にかかわった多くの人々に取材し、門田隆将が粟谷康子の青春を一冊の本に蘇らせた。
日米の一流の書き手が それぞれの立場で書かれた すばらしいノンフィクションです。