インドの鶏足山を尊足山と呼ぶのが主流になったのは何時からなのか? | アジアのお坊さん 番外編

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インドの仏跡巡礼の様子を配信しているお坊さんの動画の中に「摩訶迦葉尊者にちなむ仏跡・尊足山」という文字があったのだが、摩訶迦葉ゆかりの仏跡と言えば「鶏足山」ではないのか? と思って調べてみたら、鶏足山のことを尊足山とも呼ぶらしい。

 

寡聞にして知らなかったのは私の浅学ゆえなのだけれど、だがしかし、昔から摩訶迦葉が入定したのは「鶏足山」とするのが一般的だったのではなかろうか? と思って先ずは「大唐西域記」を調べてみたら、なるほど、確かに尊足山という言葉が見える。

 

「鶏足山の旧跡 吒播陀(クバダ)山(原注 唐に鶏足と言う)に至る。また窶廬播陀(グルパダ)山(原注 唐に尊足と言う)とも言う」

 ー 「大唐西域記 3」(平凡社 東洋文庫)112頁 より

 

そして玄奘は、迦葉尊者を敬してこの山を尊足と呼ぶのだとして、その後に、弥勒下生時にこの山で入定した摩訶迦葉が再び現れるという伝説を記している。

 

さて、続いてインターネットを見てみると、先ずインド仏跡旅行を扱っている旅行会社のサイトを始め、「鶏足山」を「尊足山」と表記しているものが複数あるし、また龍象寺というお寺さんのホームページに「尊足山(鶏足山)参詣」という見出しの高野山時報が載っている。

 

一方で「つながる!インディア」というサイトの中にブッダガヤインド山日本寺の先輩であるご僧侶が、「マハーカサッパ(摩訶迦葉尊者)の霊山 鶏足山」という記事を書いておられたので、抜粋させて頂くことにする。

 

ー「その山は「鶏足山(けいそくざん)」現地では「グルッパ・ギリ」、かつては「ククパタ・ギリ」と呼ばれています。インド国鉄ガヤ駅の東、グルッパ駅の南1キロほどにそびえ、ニワトリの様な形をした岩の山頂を望む事が出来ます。」

 

ところで、上に述べたように、56億7千万年後の未来に弥勒菩薩がこの世に出現する日まで、摩訶迦葉がこの山でブッダの遺品を預かって待っているという伝説があるのだが、韓国の通度寺の境内には、それにちなんだ摩訶迦葉の奉鉢塔というものが建っている。

 

また、星野之宣氏の漫画「宗像教授異考録」の中の「大天竺鶏足記」という短編にも鶏足山と摩訶迦葉が登場するし、大本教の出口王仁三郎が自身を弥勒菩薩になぞらえるのに当たって影響を受けた神道霊学者の大石凝真須美(おおいしごりますみ)はその著作の中で、鶏足山の出て来る弥勒菩薩下生経について触れている。

 

ちなみに、鶏足山と弥勒菩薩の伝説については、南方熊楠著「十二支考」の「鶏に関する伝説」にも詳しい記述がある。

 

そんな訳で、「鶏足山」で良いのではないかと思うのだけれど、如何でしょうか?

 

                 おしまい。

 

 

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