「人間に服従せざるを得ないロボットの”本能”よ。いわゆる「アシモフ回路」ってやつ。」
ー 「チェンジリング」佐藤史生(小学館)より
今でこそブログの中では「奇術」「ミステリ」「探偵小説」などという風に気取った単語を使わせて頂いているが、実を言うと子供の頃に好きだったものはと言えば「手品」に「推理小説」で、その言葉を使った方が今でも胸がときめくのが本当だ。
さて、そんな子供の頃のこと、「推理小説」はたくさん読んでいても、SF小説はほぼ読んだことがなくて、唯一、SF好きの従兄弟に借りて読んだのがフレドリック・ブラウンの短編集で、何年か前、身内の葬儀で何十年かぶりに出会ったその男性に、今でもSFを読んでいるのかと尋ねてみたら、SFを愛する心は忘れていないけれどなどという、曖昧な答えだけが返って来た。
だから私は他の人の奇術やミステリに関するブログを読ませて頂くたびに、子供の頃と変わらない気持ちで手品や奇術やミステリや推理小説を愛し、読み、語り、それについて考え続けるおとなの人たちが大勢いることを、とても頼もしく思っている。
ところで中高生くらいになると、奇術やミステリ以外に神や宗教や人類や宇宙といった事柄にも興味を持ち出したので、そうしたテーマのSF小説を何冊か読んだものの、さしてのめり込むこともないまま過ごして来たところ(佐藤史生のSF漫画だけは好きだったが)、近頃、日々、人工知能AIのことを耳にするに付け、一度も手に取ったことのなかったアシモフの古典的名作「われはロボット」を、一度読んでみようと思い立った。
読んでみて驚いたことに、この古き良き時代のSFがいささかも古びていないばかりか、現在はもちろん、さらにずっとその先の将来に渡ってAIについて考えるべき全ての事象が、既にここに描かれていることに気が付いた。
この年になって初めてこの物語を読み、それを愛することのできる心が自分に残っていることを、私は秘かに嬉しく思う。
おしまい。
※「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。